来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
「不登校・高校中退」分科会。フラメンコ
今日もたくさんの学生が参加してくれた。レポートも3本あり討議が行われた。
ただ昨日も記したが、不登校とか高校中退というテーマは立場によってまったく展開される中身が違う。学校の先生たちは、自己の教育的な気持ちもあって「余儀なく不登校に陥ったこどもがでた失敗・反省・後悔」を口にする。しかし親たちは、子どもの不登校のきっかけにもよるが、自分の子どもの自立へのステップとしてとらえる。私などもどういう側面が強い。今日も高校の先生のレポートが中退をさせた子どもへの取組を「失敗」と総括されていた。
「もっと努力すれば中退させなくともよかったのでは」「不登校になった子どもへの申し訳なさ」といった後悔の念、そして次からは中退しないですむ取組や不登校の兆候が見えたときにはこういう取組をするという一つの教訓を確認するという先生のとらえ方、実に「先生的」である。
ある生徒が高校を中退せざるを得なくなったときに、生徒によっては「こんな高校に入って失敗だった」と思うこともあるだろう。しかし「この高校は自分には合っていなかった。別の高校でやり直しをしよう」と思う場合も少なくない。中退は重要な「成長」の契機になったのである。
学校、教育というのはある図式で評価できないという当たり前のことをいつも再確認する。先生が「不登校や中退」に対して自己の良心と実践の観点から、これらをなんとか防ごうとすることは当然だろう。しかし先に記したような「子どもの成長のシルシ」として評価することだった十分に可能であろう。そのような立場の違いを乗り越えながら議論しあえる観点は何か、をもう少し多面的に検討していきたい、というのが今後への私自身のテーマとなった。
夜、妻のフラメンコグループのライブ公演。それなりに年輩の女性たちの熱烈な踊りに少々驚く。激しい動きを意気揚々と進めるダンサーたちに感心したひととき
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