来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
「学力」問題6(あらためて強調したいこと)
2008年に改訂され11年から全面実施される新学習指導要領(09年度から先行実施されているが)は、「生きる力」「基礎基本の強化」が特徴である。そのために授業時数が増大する。今まで以上に、子どもたちは「勉強」「勉強」と追い立てられることになることは必至である。ついて行ける子どももたくさんいるだろうし、文字どおり期待どおり学力を向上させることのできる子どもも多数いるだろう。しかし教育・学校全体が本当に「前進」するのだろうか。
現在使われている中学校の国語の教科書を手にする機会があった。札幌市で使っている教育出版本であるが、その内容の豊富さに感心した、というより驚いたといってよい。実に多彩な作品が並んでいる。古典から明治以来の名作、そして漢文の基本、さらに現代の
人気歌手の歌詞まで。この分厚い教科書を理解させようとする教師たちは大変な努力が必要であるし、これを求められる子どもたちも大きなエネルギーが必要になるだろう。
私はこれを勉強できる子どもが、ある面ではうらやましく思いつつもその「苦闘」を想像すると可哀想にもなった。
「不登校」という今日の教育と学校になじめない子どもたちは「今の勉強にどうしてもついていけない」という。もちろん不登校の要因はそれだけではないが、この理由が増えているように思う。まさに宜(むべ)なるかな、であろう。
学力の向上は、競争によって、という考えがはびこっている教育の現状が続く限り、不登校だけでなく、いじめや暴力行為、あるいは昨日記した自己肯定感を持ち得ない子どもたち、幸福感が世界の先進国で異常なほどに低い子どもたち、といった事態が改善されない。
指導的立場にある人は口を開けば「共生」の社会を、という。鳩山首相は言う。「国民一人一人が『自立と共生』の理念を育んでこそ、社会の『絆』を再生することができる」と。そして「友愛の社会」をと。
21世紀型の世界はまさにこういう理念をもった社会である。これを教育の中でどうつくり出すか、がテーマである。「学力向上」を最大の課題とする教育の政策は逆行するのではないか。と書くと「では学力は問題にしなくてもいいのか」と問われそうだ。学校(それがインフォーマルな「フリースクール」であっても)というのは、その時々のアクセントの違いがあっても子どもの成長をサポートするというテーマをもつし、その主な内容の一つが学力を育てることだといえる。
その学力というのは、受験(テスト)が終われば剥落する知識ではない。鳩山さんのいう人間の絆が強くなる関係、真の共生をどう生み出すかを考える意欲、そして生涯にわたって「やり直すことができる」意欲と学力、そういう「見えない力」をどうするか、が問われているのだと思う。その一番重要なことは学校と教師の自主的な活動の保障である。学力世界一のフインランドの教育界から学ぶことが多いのではないかと思う。
現在使われている中学校の国語の教科書を手にする機会があった。札幌市で使っている教育出版本であるが、その内容の豊富さに感心した、というより驚いたといってよい。実に多彩な作品が並んでいる。古典から明治以来の名作、そして漢文の基本、さらに現代の
人気歌手の歌詞まで。この分厚い教科書を理解させようとする教師たちは大変な努力が必要であるし、これを求められる子どもたちも大きなエネルギーが必要になるだろう。
私はこれを勉強できる子どもが、ある面ではうらやましく思いつつもその「苦闘」を想像すると可哀想にもなった。
「不登校」という今日の教育と学校になじめない子どもたちは「今の勉強にどうしてもついていけない」という。もちろん不登校の要因はそれだけではないが、この理由が増えているように思う。まさに宜(むべ)なるかな、であろう。
学力の向上は、競争によって、という考えがはびこっている教育の現状が続く限り、不登校だけでなく、いじめや暴力行為、あるいは昨日記した自己肯定感を持ち得ない子どもたち、幸福感が世界の先進国で異常なほどに低い子どもたち、といった事態が改善されない。
指導的立場にある人は口を開けば「共生」の社会を、という。鳩山首相は言う。「国民一人一人が『自立と共生』の理念を育んでこそ、社会の『絆』を再生することができる」と。そして「友愛の社会」をと。
21世紀型の世界はまさにこういう理念をもった社会である。これを教育の中でどうつくり出すか、がテーマである。「学力向上」を最大の課題とする教育の政策は逆行するのではないか。と書くと「では学力は問題にしなくてもいいのか」と問われそうだ。学校(それがインフォーマルな「フリースクール」であっても)というのは、その時々のアクセントの違いがあっても子どもの成長をサポートするというテーマをもつし、その主な内容の一つが学力を育てることだといえる。
その学力というのは、受験(テスト)が終われば剥落する知識ではない。鳩山さんのいう人間の絆が強くなる関係、真の共生をどう生み出すかを考える意欲、そして生涯にわたって「やり直すことができる」意欲と学力、そういう「見えない力」をどうするか、が問われているのだと思う。その一番重要なことは学校と教師の自主的な活動の保障である。学力世界一のフインランドの教育界から学ぶことが多いのではないかと思う。
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