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「学力」問題5(「学びへの意欲」の問題)

学力に関して、小中高大の各段階の教師たちが一番悩むことは、今の子ども(若者)たちの学びへの意欲の欠落に関することではないだろうか。競争あるいは受験のために必死で身につけた「学力」はすぐ剥落する傾向がある。その後は「やる気」がなくなる。
いわゆる「見えない学力」(岸本裕史氏)、B学力C学力(志水宏吉氏)が足りないことを意味する。

こういう話がある。尾木直樹氏の「『全国学力テスト』はなぜダメなのか」(岩波書店)によると、大学で「便所飯」が小さくない問題になっているという。トイレの個室のドアに「この場所で昼食を食べないこと」の張り紙のある大学があるとのこと。大学生の心が病んでいるのだろうか。また彼は中学生でも10%の子どもが心の病をかかえていると先日のJDEC(フリースクール全国ネット大会)の講演で語っていた。

「自己肯定感」が最も低いのが日本の子どもだというのもいろいろいわれている。先日、私たちの学園の父母の集まりで「この学校で本当に子どもも私自身も救われました。しかし子どもがいうのです。大学や就職したらどうなるのだろうと。この学園で得た知識や体験が通用するのだろうかと。子どもは『普通の学校』に行けなかった自分をどこかで責めているのです」と。
私は「子どもさんのこの気持ちは、今のほとんどすべての子ども・若者の意識に共通しています。多くの人が『この学校』にしか来られなかった情けない、弱い自分なんだという気持ち」ですと言ったが、このことを教育の関係者は深刻に考えるべきだと思う。

NHKのテレビで、「ダメな自分」を責める30代が多いことを報道していた(1月21日のドキュメンタリー「助けてと言えない~共鳴する30代」)。失業も、恋人ができないのも、すべてダメな自分のせいにする。

「便所飯」と「ダメ自分」意識とは共通しないだろうか。学びの意欲の欠落も共通ではないだろうか。さらにまた教師たちの心の病も深刻になっていることは昨日今日のことではない。こういう教育をめぐる諸問題がどんどん深刻になっていることを考えた時、単なる学力向上(「他の学校、他の府県と比較して低学力だ」)を強調することのデメリットは小さくないのではないかと思う。何度も言ったように、問題は競争をあおることになるからである。「教育に競争はいらない」ことをあらためて確認したい。

必要な時に、必要な「学力」を求める意欲を堅持することが大切である。かつて「生涯学習」の意味が強調された。やる気が生まれたときに学力などいくらでも身につけることができるのである。
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