「本願寺展」など

今日は高校が振休だったので、ウイークディでなければ行けない役所関係に行ったり休日なら混雑する「本願寺展」と、ある書道展を観た。

来年は親鸞の750遠忌。今年は坂本龍馬の年で、2011年は親鸞の年になるという人がいる。日本人の思想に重要な影響を及ぼした浄土真宗の祖である。
かつて五木寛之「親鸞」を愛読した私は、この宗祖への思いをさらに深めた。その昔に読んだ倉田百三の「出家とその弟子」を先月読み返した。今でも尊敬する第一人者である。

本願寺展は、(西)本願寺その他が所蔵する国宝を含めての貴重な美術品の展示であった。歴史の書物で見ることのできるものもあったが、その多くは初めて接するものである。しかしこういう展示物に触れてあまり感動しない自分に気づいた。親鸞の「神格化」をつくる物が多いとか、書の類は実物やコピーを見てもほとんど内容が分からないことなどだろうか。そして、彫像や名号(南無不可思議光如来など)を崇拝することが浄土真宗の本質のようにされていることに少なからず反感を抱く。そもそも親鸞自身こういったいわば「偶像崇拝」的なことを強調したのであろうか。疑問だ。
それにしても戦国時代(15~16世紀)織田信長などを最も苦しめたのは、この本願寺勢力であったことから信仰の力の源泉が親鸞から始まる真宗だったことも改めて思い知った。

その次に書道展に行った。女性のかな文字の作品展。楷書から行書を「卒業」してかな文字の草書に行くのかと思ったが、そのプロセスは決まっていないのだそうだ。

上の本願寺展で展示されているたくさんの書といい、かな文字の書といい、これに接する昔の人や今の人は読めたのだろうか(昔の人は読めただろうが)、驚きに近い。古文書学に長けた人はスゴイという気もする。今、麗しい草書文字を苦労なくちゃんと読める人はいるのだろうが、エライものだ、などと妙なことに感心した。

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