死後の世界

鎌倉仏教についての話になると、どうしても「極楽浄土」を問題にせざるを得ない。浄土の教えを説く法然や親鸞に関連してである。もちろん鎌倉時代の新しい仏教の教えは他に禅宗や日蓮などによるものもある。
浄土というのは死んでからいく世界とだけ理解すべきでなく、仏の世界でいわば浄い(きよい)世界ということだから、これはただちに死後の世界を意味するのではなさそうだ。しかしなかなか難しい仏教の教えを説明できないから、理想の世界すなわち浄土、これは念仏を称え仏の「誰をも救ってあげよう」という誓いにすがることによって行くことができる世界、これは端的には死後の理想郷というようにいうのだが、どうなのだろう。

新聞の広告欄にものすごい大きなスペースをとって死後の世界すなわり霊界にいる過去の偉人たちの発言を伝えるという広告がある。多くの誰もが知っている人たちの「霊言」なるものを聞くことができるある団体の創始者が登場している。

天照大神から始まって、坂本龍馬やさらに東条英機なども霊言を発しているようだ。結局これはこの団体の創始者の発言であるのだが、これに箔をつけるために霊界で今も生きていることになっている歴史上の人物の口をとおして話をさせるという策をめぐらしている。

こういったことを少なからずの人たちが信じているのだから、日本の国民の知的レベルも多様なのだな、と感じる。
いったい「死後の世界」などという世界を仏陀も想定していなかったというではないか。その後2500年間で、優れた宗教の指導者たちが「わかりやすく、誰でもすぐ理解できる」世界すなわち死んでから行くであろう世界を、幸せいっぱいの浄土(天国)としてつくりだした。
「今はつらくとも死んで楽しい浄土にいけるよ」とそれなりの人に言われるともっともらしく思えるようになったのだろう。
同じような人びとを口説く手だてを発揮する人がたくさんいるし、この科学万能の世界で死後の世界で昔活躍した人たちが発言しているなどを真に受ける人がいることが情けない。

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