来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
日本が昭和年間に行った侵略の歴史を正当に見ることが大切なのでは?
最近、書店に平積みされている書籍に自虐史観を克服した云々という趣旨の書物が少なくない。神話から生まれた我が国は天皇を頂点として2000年の歴史をつくってきた、といったまさにタイトル通りの「日本書紀」の続編のような内容の本もある。
60余年間の昭和史は、ナチス・ドイツやファシスト・イタリアとの連合をバックに中国とアジア各地への侵略と戦争、そして日本国民をも悲劇のどん底に陥れた歴史、この尊い犠牲の上に戦後の平和と民主主義(いろいろな矛盾ときわどさがあったにしても)を打ち立ててきた歴史であった、とまとめることができる。
しかしこの基本線を、自虐的とか、アメリカの支配層による策略に乗せられたなどという史観が、あの大戦の犠牲を歪曲して堂々と言われている。
そもそも日本が戦後アジア各国と平和的な関係を築くことができたのは、端的に上記の歴史認識を共有できたからではないのだろうか。神話をひもといて日本の「美しさ」を説いて、隣国との関係はどういうことになるのだろうか、言わずと知れたことではないか。
被害者は加害者よりも何倍も自分の受けたキズの深さを持ち続ける、ということは誰もが経験することだ。第二次大戦で(あるいは日中十五年戦争で)、日本人は300万人を超える犠牲を出した。しかし中国人に与えた犠牲は1000万人以上、インドネシア(オランダ領東インド)は300万人以上、他にインドや朝鮮の人々へのそれぞれ100万人以上の犠牲を強いているのだ。それはどう考えてみても大日本帝国の大東亜共栄圏構想実現のための大東亜戦争という侵略戦争に原因があったのではないのか。
そういう観点をもって隣国との平和友好の関係を築いていこうという理念なしにはうまくいかないのではないかと思うがどうだろうか。
日本ファーストみたいな思想は一時的な気持ちのよさを日本人に与えるかも知れないがほんの少し長い目でみれば逆の境地に誘っていくと、私は想像する。
60余年間の昭和史は、ナチス・ドイツやファシスト・イタリアとの連合をバックに中国とアジア各地への侵略と戦争、そして日本国民をも悲劇のどん底に陥れた歴史、この尊い犠牲の上に戦後の平和と民主主義(いろいろな矛盾ときわどさがあったにしても)を打ち立ててきた歴史であった、とまとめることができる。
しかしこの基本線を、自虐的とか、アメリカの支配層による策略に乗せられたなどという史観が、あの大戦の犠牲を歪曲して堂々と言われている。
そもそも日本が戦後アジア各国と平和的な関係を築くことができたのは、端的に上記の歴史認識を共有できたからではないのだろうか。神話をひもといて日本の「美しさ」を説いて、隣国との関係はどういうことになるのだろうか、言わずと知れたことではないか。
被害者は加害者よりも何倍も自分の受けたキズの深さを持ち続ける、ということは誰もが経験することだ。第二次大戦で(あるいは日中十五年戦争で)、日本人は300万人を超える犠牲を出した。しかし中国人に与えた犠牲は1000万人以上、インドネシア(オランダ領東インド)は300万人以上、他にインドや朝鮮の人々へのそれぞれ100万人以上の犠牲を強いているのだ。それはどう考えてみても大日本帝国の大東亜共栄圏構想実現のための大東亜戦争という侵略戦争に原因があったのではないのか。
そういう観点をもって隣国との平和友好の関係を築いていこうという理念なしにはうまくいかないのではないかと思うがどうだろうか。
日本ファーストみたいな思想は一時的な気持ちのよさを日本人に与えるかも知れないがほんの少し長い目でみれば逆の境地に誘っていくと、私は想像する。
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