増毛町に行く

(株)りんゆう観光が企画したツアー・増毛めぐりに参加(26日)。
増毛という町はほとんど名前程度しか知らなかった。はるか昔留萌に行ったときに、この先に「増毛」という町があると聞いた程度だった。
総勢30名ほどだったろうか。グループの大半はここでも多くが年輩の女性。知りあいはゼロ。
バスは日本海沿いの国道231号線を走る。途中に浜益町がある。私たちが自丘運動をスタートさせたときいわば重要なパートナーとして働いてくれた柴田先生がこの町の小学校に縁があったということで、何度か子どもたちと共に浜益町に行ったことがあった。もう20年前後の過去だった。その際、知った地名である次の所が車窓から臨まれ、懐かしさと柴田先生への思い出がわき起こった。


生振(おやふる)、花畔(ばんなぐろ)、厚田(あつた)、聚富(しっぷ)、望来(もうらい)、古潭、濃昼(ごきびる)、送毛(おくりげ)、毘沙別(びしゃべつ)、郡別(くんべつ)、幌(ぽろ)、雄冬(おふゆ)、などなど。


これらの地名、かなを振らなければ素人はほとんど読むことができないだろう。そしてそれらの地で彼が青年時代の数年間浜益村の人たちとの交流が何十年もたってまだまだ心の絆が消えないで残っていたことに感動したことを思い出していた。


3時間近いバスの旅で増毛町に入った。この町をはじめて訪問し、この地のガイドさんから種々のことを聞いたのだが、大きなことはこの町が札幌などよりもはるかに古い歴史をもっていたことだった。江戸時代(宝暦年間というから1760年前後)、漁場が開かれていた。この増毛はその他の漁村と同じくニシン漁で栄えた。最大1万人以上の人口があったという。今は4千人以下。


ニシン漁で築いた大財産家本間家の豪壮な家など。また町のあちこちに残る明治以来の「遺産」など。この本間家から出た本間一夫さんという人(1915年~2003年)は、日本で初めて点j(字の間違い(220722))図書館を造ったという史実も貴重だった。


歴史とフルーツの町、また国稀という日本酒を生み出す町でもある。。フルーツのつかみ取りも企画に組まれていて、ブドウ、ナシ、リンゴ、など食い放題。しかし思ったほど食べることはできない。
はるかに見る暑寒別岳。いつかまた訪れたくなる町だった。

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