goo blog サービス終了のお知らせ 

kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

室町時代の東国 鎌倉府と上杉家・・・詳しく見る その3

2012-12-23 16:24:18 | 柏シルバー大学院
6. 上杉憲春
南北朝時代の武将。関東管領。憲顕の子。左近将監,刑部大輔。兄弟の能憲,憲方と共に父憲顕を支えて活動し1377年に能憲の跡を継ぎ関東管領となる。,鎌倉公方足利氏満が室町幕府将軍足利義満と戦う計画を立てていることを知り,これを諫止するため自殺した。この事件については,氏満の反意を知った義満が憲春にその阻止を命じ,憲春は氏満を翻意させることができなかった責任をとって自殺したとの説もある。

* 武田信玄と上杉謙信の川中島の戦いで、有名な上杉謙信の系図を見る。

上杉氏初代当主より
重房 - 頼重 - 憲房 - 憲顕 - 憲方 - 憲定 - 憲基 - 憲実 - 憲忠 - 房顕 - 顕定 - 顕実 - 憲房 - 憲寛 - 憲政 - 輝虎(謙信) - ※景虎

上杉謙信の簡単な生い立ちについて
上杉謙信の父・長尾為景、母・虎御前。幼名は虎千代と名づけられた。父は越後の守護代で、同族には上杉定実がいた。謙信は幼い頃から春日山林泉寺(新潟県)の天室光育(てんしつこういく)に預けられ僧侶として育つことになる。父が病のため隠居すると、兄の長尾晴景に家督を譲った。

しかし晴景は病弱かつ酒に溺れ合戦には出ず、家臣からは信頼を得られなかったので上杉定実の説得により謙信を養子に迎え長尾家の当主にした。関東では北条氏が力をふるっており、関東管領の上杉憲政に何度も援軍を送り、関東管領を譲り受け武田信玄と川中島で度々争うことになった。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。