kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

黒田官兵衛・・・NHK大河ドラマ  その3

2014-02-05 11:25:18 | 日記
3. 「運が開きました。天下が取れますぞ」・・・半兵衛が豊臣秀吉に

本能寺の変で織田信長が自害し、秀吉ら信長の部下たちが慌てふためく中、官兵衛は秀吉に、こう囁いたと言われています。そして、秀吉が官兵衛の言うとおり天下人となった

この、黒田官兵衛は、どのような人だったのでしょうか。「守るばかりの毛利より、攻め続ける織田へ!」天文15年(1546)に小寺(黒田)職隆(もとたか)の嫡男として姫路で生まれた黒田官兵衛孝高(よしたか)は、豊臣秀吉のもとで辣腕をふるった軍師です。元服する前からその優秀さを認められ主君の小寺政職(まさもと)に近習(きんじゅう)として仕えました。
そんな官兵衛の転機は、天正3年(1575)のこと。当時、播磨は織田方と毛利方に挟まれた緩衝地帯でした。どちらにつくか悩む主君政職に対し、官兵衛は織田信長へつくよう進言したのです

4. 牢獄から、秀吉の元へ戻ってきた官兵衛その変わり果てた姿に、秀吉は泣いて詫びたという

ですが、官兵衛の頭脳はますます冴え、三木城攻略のために「三木の干殺し」と呼ばれる兵糧攻めを建策した。以後、秀吉は、様々な戦でこの兵糧攻めを用いた。
官兵衛は戦略をめぐらし、秀吉を助けました
そして…、本能寺の変後、秀吉とともに「中国大返し」を決行。速やかに毛利氏と講和し、主君の仇明智光秀を討つため京に向けてわずか10日間で全軍を大移動させた。こうして、秀吉は、天下人への道を猛進していくのです

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