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kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

神田明神祭り(2/2)・・・江戸の伝統・日本三大祭りの粋

2009-05-13 06:11:50 | 観光

神幸祭(その2) 附け祭(つけまつり)

江戸時代、神田祭で最も人気があり賑やかな行列だった附け祭(つけまつり)。更に賑やかに、そして新しい行列がきます。大己貴命(おおなむちのみこと)の乗り物、少彦名命(すくなひこなのみこと)の乗り物、平将門命の乗り物の後に延々と続いて来た。

千代田区長、中央区長さんの同乗した乗り物もありました。芸大が製作したものもと、学生さんの行列、区立一ツ橋中学校の作品と学校関係者の行列もあった。町をあげてのお祭りで、住民の知り合いの人も駆けつけ参加したとのことである。

広い道路の半分をストップして、行列が罷りとっていった。

浅草三社祭りは数回見学していたが、神田明神祭りには、初めての参加で、個性のある祭りを見学でき満足した。

特に、この祭りには近くの会社も参加し地域あげても祭りであることがうれしい。長男の会社の友達も、会社名の入ったハンテンを着ての神輿担ぎは望ましかった。

昔から地域の伝統的文化行事で多くの地域住民を引きつけ交流・親睦・連帯が育ち今日まで続いているのであろう。また、来年が楽しみだ!!

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神田明神祭り・・・江戸の伝統・日本三大祭りの粋

2009-05-11 06:13:22 | 観光

母の日に長男(氏子地域内に勤務)夫婦の招待をうけて神田明神神祭りに参加した。

日本3大祭りの1つと讃えられる神田祭り。連綿と伝わる江戸下町の祭礼文化、その象徴が、この神幸祭行列である。・・・との解説。朝の8時から19時まで行列が氏子地域巡行行事である。

大国様・一の宮鳳輦、大己貴命(おおなむちのみこと)の乗り物。国土開発・殖産・医療の大きな力を発揮され、国土経営、夫婦和合、縁結びの神様。

恵比寿様、二の宮神輿、少彦名命(すくなひこなのみこと)の乗り物。茨城県大洗磯前神社から神霊

を迎えて祀られた。商売繁昌、医療健康、開運の神様

将門様、三の宮鳳輦。平将門命の乗り物、まさかど様、除災厄除のご神徳をお持ちの神様。将門は公は、承平、天慶年間に武士の魁として活躍、東国の「民衆の信望を得ている。等が地域の人を大勢引き連れで行進する。

日本橋三越正門前で午後3時半ごろから5時半ぐらいまで見学し、デジカメを向けた。交通整理の関係か、行列の歩くスピードが早く、デジカメで追いかけるのが大変だった。

日本の三大祭りとは、ホームページで調べましたが、はっきり分かりませんでした。昔は、そう呼ばれていたのでしょうが、今では、三大祭りは他にもっと大きい祭りがあるように思える。


武相荘(2/2)・・・日帰る見学バスツワー

2009-05-04 03:55:15 | 観光

NHKのドラマで、白州次郎と正子が放送され、急に有名になり人気が出てきた。見学者も大変多いとのこと。私もドラマで白州次郎をしり、感激し、もっと彼を知りたいと思い、この見学会に参加した。

白州次郎(1902年から1985年)は、兵庫生まれ、若くしてイギリスに留学、ケンブリッチ大学に学ぶ。

2次世界大戦にあたっては、参戦当初より日本の敗戦を見抜き、鶴川に移住農業に従事する。戦後、吉田茂に請われて、GHQとの折衝に当たるが、GHQ側の印象は「従順ならざる唯一の日本人」であると・・・。

日本国憲法の成立に深くかかわり、政界入りの声も強かったが、生涯外野を貫き、幾つもの会社の経営に当たった。

白州正子(19101998)は、父は樺山伯爵家の次女として東京にうかれた。幼児の時から能に親しみ、14歳で舞台にたった。アメリカのケンブリッチに留学、帰国後白州次郎と結婚。文学・骨董の世界に踏み込む。銀座に染織工芸の店を開き、往複4時間の店に毎日通った。友人に「韋駄天お正」と命名されほどの行動派で、自分で見、足を運んで執筆する姿勢は、終生変わらなかったとのことである。

鳩山御殿とは違い、質素な家屋であった。都会とは離れ、農村に住み、農業に精を出したとのことである。

吉田総理に使い、マッカーサー(連合軍最高司令長官)と堂々と対等に話し合った、終戦直後の日本人の立役者である白州次郎の邸宅には相応しくないように思った。

人間は色々である。偉いといわれた人でも、こういう人もいたことを再認識した。

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鳩山会館(1/2)・・・日帰る見学バスツワー

2009-04-29 06:07:13 | 観光

過日、鳩山会館、,白州次郎・正子の白州邸(武相荘)の見学会に参加した。

先ず、鳩山会館について述べてみる。

戦後政治の原点がここにあります。とのパンフレットの解説

戦後、日本の近代政治と教育会に偉大な貢献をした鳩山家。復興から高度成長へとなった保守合同を成し遂げたのも鳩山家でした。また元首相であった鳩山一郎が唱えた「友愛」の精神は、この地で育まれ、今もなおその理念が輝き続けています。

鳩山家が文京・音羽の地に居構えたのが明治2年(1891)で、この洋館が完成したのが大正13年。

平成7年に現在の最新技術を駆使して大規模修理工事が行われ、現在の会館に生まれ変わったのです。鳩山一郎は、元内閣総理大臣・自由民主党初代総裁の重職を担った。

奥様の薫は、親が創設した共立女子学院の理事長の重職を長年にわたり果たされた。

長男の威一郎は、元外務大臣、元大蔵事務次官、元参議院議員の重職を果たされた。

孫の由紀夫は、現在民主党の幹事長として活躍されている。

孫弟の邦夫は、現職の大臣をしている。

鳩山一郎の父の和夫は、元衆議院議長、元早稲田大学校長、元弁護士

母方の春子は、共立女子学園の創設者である。

このように、日本の政治と教育に、現在も貢献している鳩山家である。

鳩山御殿と噂に聞いていたが、目の前に見て、住む社会が違うのだとの感想をもった。・・・天は人の上の人を作らず・・・諭吉を思い出した。

機会があれば、ご見学を・・・。


気まぐれに古牧温泉へ(3/3)・・・余りの安さに誘われて

2009-04-21 13:21:19 | 観光

旅行2日目は、自由日である。10時まで、カッパ沼の周囲の散歩と渋沢邸の見学をした。

渋沢栄一氏と孫の後継者敬三氏の邸宅である。栄一氏については、余りにも有名でここに取り上げません。敬三氏は、日銀総裁・大蔵大臣等をされ日本経済の発展に尽くされた。

その2人の旧邸を、この創設者の杉本行雄氏が移築した。また、2人の銅像と渋沢神社が作られた。見学に値する価値があると思う。当日は、月曜日で休館日であったのが残念であった。

公園の沼をカッパ沼という。ここには、曲がりや特色ある邸卓等を移築されたとのこと。沼に邸宅の影が写り、デジカメを喜ばせてくれる。また藁葺け屋根の浮見堂も人をひきつける建物である。

時々、沼の右側の高台は観光電車の通り汽笛がここえる。

私たちの散歩の後を観光馬車が追いかけてきていた。明日は乗ってみようと心に決めた。念願かなって馬車にのり、カップ沼を御菓子とお茶を飲みながら見学できた。優雅な一時を過ごせた。

午後10時から十和田方面バス旅行{2500円}と、近くの酒造見学と八食センター見学バス旅行(1〇〇〇円)があった。私も含め、多くの方は後者に参加した。昼からお酒を頂き、ほろ酔い加減になり説明も上の空になった。男の皆さんは同じようだった。皆さん、大変旅慣れている感じであった。

なお、古牧温泉元湯には、ホテル前から旅館のバスが出る。しかし、10分程度で付いてしまう。

同じホテルに2泊、束縛なしの気楽な日程、ゆったりして旅ができた。よかった!! 心の洗たくとはこんなことかな!。

3日目、午前11時発のホテルのバス4台で八戸駅に向かった。宿の従業員の誠実さ素朴さに良い感じを受けながら、帰宅についた。


気まぐれに古牧温泉へ(2/3)・・・余りの安さに誘われて

2009-04-19 06:10:36 | 観光

200名のお客の受付と部屋のカギ渡しは、係りの人が大きな声で呼び出し配布していった。受付まで大量生産的方式で、客として軽視されているようなホテルとの初対面であった。

ホテルの説明と、今晩の夕食“みちのく祭りや”とイベントについて説明があった。

予定時間は午後6時から8時まで、初めに夕食をたべ、その後に東北の文化的イベントに参加して楽しむ時間になっているの説明。

200名を呑み込む大広間であり、正面には“ネブタ”が設置されている。

夕食には、先付け「珍味・お造り」、5つのセイロ「(1段里の幸・2段炊き込みご飯・3段海の幸・4段煮物・5段点心)」、汁物、デザートと盛りだくさんの料理で食べきれない。

それが終わって、ホテルの若人従業員によるネブタ踊り、東北の伝統的踊り等が披露された。

その後、希望者を交えての踊りが広い会場一杯に広がり踊り興じた。

従業員たちが元気力一杯踊られたことに大変好感を持てた。楽しく健康的な夕食会であった。

そのあとに、会場を変え、所定の場所で津軽民謡等を見学した。

ホテル内では、大温泉と外風呂として浮湯があった。大きな池の中に湯が噴き出ている円形風呂である。

周りは木に囲まれ、滝が流れ出ている。夜はライトアップされていた。ゆったりと心を癒せた。

次の日の夕食、常食とバイキング形式で、食事は大変満足できたと思う。

部屋は、12畳で2泊し、ゆっくりとリラックス出来た。こんな旅は初めての経験であった。心も体も癒された旅であった。

次回は、施設内の様子についてアップする。


気まぐれに古牧温泉へ(1/3)・・・余りの安さに誘われて

2009-04-17 05:55:44 | 観光

我が家にチラシ入る。“往復JRで行く人気の温泉プラン、にっぽんの温泉100選 10年連続 第一位!! 青森 古牧温泉 3日間 3万円”の魅力に負けた。

この旅は、旅行先周辺を旅することより、ゆったりと宿泊施設で楽しむという目的のようだ。

東京駅を11時56分発、帰り八戸を12時58分発である。JRの客の一番少ない時間の利用である。

3万円の費用は、八戸往復だけの東北新幹線代である。旅行の薄利多売方式か?。

私達を含む、200名が、東京から同じツアーに参加した。年配者が多く、旅に慣れている人が多かったようである。ホテルは250室があるようで、敷地に広さは22万坪、カッパ沼を含めた公園があり、沼には旧特色ある建物がここに移築されている。よい眺めである。敷地内を十和田観光鉄道がとっている。

ホテル内には、浮湯(温泉)、古牧元湯、催しもの津軽三味線南部民謡ショー等がある。他のホテルに比べ、遊び施設が大変多く感じた。

また、渋沢栄一、孫の渋沢敬三の両先生に仕えた杉本行雄氏(古牧温泉の創業者)が、平成3年に渋沢邸を移築した。

旅行先周辺を活動的に見て回る旅行者には、物たりない日程かも知れない。

兎に角、楽しい3日間にしようと心に決めた。次回は、催しや食事等をアップする。