ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

大和郡山盆梅展

2012-02-29 13:08:04 | 今日の大和民俗公園


2月28日「大和な雛まつり」を見た後、郡山城址で開かれている「盆梅展」に行きました。
毎年見に行く盆梅展ですが、第9回目になる今年は寒さのために開花状況が遅れています。中央に見える追手門の両脇にも大きな盆梅が置かれていますが、まだ咲き始めたばかりでした。



会場は城址に復元された追手門、追手門向櫓、多門櫓ですが、室内に入ると馥郁としたウメの香りに包まれます。



市内の造園業者が丹精込めて育てた「盆梅」約120鉢が櫓の中に展示されています。



そして一鉢一鉢には名前が付けられています。これは、いかにもこの時期にふさわしい「早春」







「聖」



「悠妃」一鉢に紅白のウメが見られる、この盆梅展の代表的な盆栽です。たしか樹齢400年?!



小ぶりながら美しい「霧氷」。私たちの大好きな名前のウメ。



盆梅には、このように小さい鉢植えにしたものと…



先の「悠妃」やこの「瑞光」のように、大きな鉢に植えて長い期間育て続けたものがあります。



最後に大和郡山に関係の深い名のウメを見て頂きます。「順慶」
筒井順慶は戦国時代の武将で大和筒井城主(現大和郡山市筒井町)でした。1580(天正8)年、織田信長に大和の支配を許され、郡山城に入ります。同時に大和の国の郡山城以外の城の破却が命じられたので、筒井城を廃して当時は「館」程度の規模だった大和郡山城を戦国城郭とするため大普請を行って整備しました。この時、奈良中の大工を集め、多門城から巨石を運んだという記録が残っています。



「秀長」このBLOGでも再三、登場する豊臣秀吉の弟、大納言。
筒井順慶が築城後3年で没し、二代目定次も秀吉の命令で伊賀に国替えとなります。天正13年(1584)秀長が大和・和泉・紀伊三ヶ国百万石の大大名として入城します。秀長は城下町を整備すると同時に、より本格的な城造りを目指します。城門は紀州根来寺の大門を運び、石垣の石は大和国内の石地蔵・五輪塔までも集めて転用されました。その様子は今も石垣に「さかさ地蔵」があることで残っています。

外に出ると城内の枝垂れウメなどは、ようやく蕾が色付き始めたばかりでした。いつもなら屋外と室内、両方の花が楽しめるのですが…。
今年の「盆梅展」は寒冷な気温のため、終了日が3月11日まで延期されました。



歩いて家に帰る途中、菜の花が咲いていました。緑の葉と黄色の花のコントラストが美しく、本格的な春が近いことを知らせているようでした。