ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

黒猫の遊歩あるいは美学講義

2012-02-06 15:44:21 | 読書日記
ファイロ・ヴァンスという名探偵をご存じでしょうか?S・S・ヴァン=ダインという作家が生涯に書いた12作の長編推理小説(ベンスン殺人事件、グリーン家殺人事件、僧正殺人事件、カナリ殺人事件…)のすべてに、この名探偵が登場します。ヴァン=ダインは1920年代末から登場した古い作家ですが、第二次大戦後、欧米の翻訳<探偵>小説全盛期に高校~大学生だった変愚院は夜遅くまで読みふけったものです。
 ファイロ・ヴァンスが断片的な証拠から犯人を見つける推理は明晰ですが、その過程で様々なウンチクが散りばめられていて、煙に巻かれながらも楽しみでした。今でいえば、TVドラマ「相棒」の杉下右京を、もっとスペシャリストにしたような感じです。



昨年、早川書房がイギリスのアガサ・クリスティー社の公認を得て「アガサ・クリスティー賞」を創設して、新人の発掘を試みました。アガサ・クリスティーはE・ポワロやミス・マープルもので知られる「ミステリの女王」と呼ばれた作家ですが、候補作107編から選ばれて「第1回アガサ・クリスティー賞」を受賞したのが、この本です。(副賞100万円、漫才大賞に比べるともっとあげて欲しい)

最初にファイロ・ヴァンスの事を書いたのは、この本の探偵役「黒猫」が、ファイロ・ヴァンスに負けず劣らずのペダンティックな言葉をまき散らすからなのです。なにしろ「黒猫」は弱冠24才の「美学」を駆使する大学教授。普段の付き人(これが同世代の女性でポーの研究者)との会話でも「僕がここで言うカタルシスはプラトン的なものではなくてアリストテレス的なもので、アリストテレスは負の感情を浄化する点で悲劇にこの効用があるといっている」くらいは当たり前。焼き鳥屋にいっても「焼き鳥というのも死のアレゴリーになったりはしないのかしら?」「んん、普遍性がまだ足りないね」といったやり取りになるんです。ついていけんなあ。

この本は六つの短編からできていますが、すべて彼と彼女の身の回りのちょっとした謎ばかりです。たとえば「川に振り掛けられた香水」「でたらめな地図」などで、大きな事件は起こりません。しかし、すべてE・A・ポーの作品、これまた懐かしい「モルグ街の殺人事件」「盗まれた手紙」「黄金虫」…をモチーフにしているという趣向です。

その謎をイケメンで、頭が良くて、ぶっきら棒なようで時にふとした優しさを見せる「黒猫」が解いていく。こんな男には敵いません。もちろん「話し手」でもある私はメロメロ。最後には、どうも黒猫もまんざらではない様子で、これはプラトニックな恋愛小説でもあります。ウンチクもそれ程嫌味もなく、難しいところはザット読み飛ばすと爽やかな読後感が残りました。

ただ、この本で惜しいと思ったのは、何か所かにポー作品の「ネタばらし」があることです。
S・S・ヴァン=ダインはアガサ・クリスティの処女作『アクロイド殺人事件』を酷評しました。理由は彼が推理小説を書く上での鉄則を記した「ヴァン・ダインの二十則」に、クリスティが違反している、つまり「読者に対してフェアでない」という点にあります。
いかにポーの作品はすでに古典に属するとはいえ、推理小説のネタをばらすことは、最大のルール違反ではないでしょうか?