塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

ヘルムート・シュミット氏、ギュンター・シャボウスキ氏死去

2015年11月13日 | カテゴリ無し
  
今月に入って2人、ドイツの有名な元政治家が相次いでこの世を去りました。一人は旧西ドイツ首相ヘルムート・シュミット(享年96)、もう一人は旧東ドイツSED(ドイツ社会主義統一党)ベルリン地区第一書記ギュンター・シャボウスキ(享年86)です。

シュミットは旧西ドイツの第5代首相で、社会民主党(SPD)政権としては前代のヴィリー・ブラントに次いで2代目になります。ブラントは、ポーランド訪問中にワルシャワ・ゲットーの記念碑の前で跪き、ユダヤ人虐殺について謝罪したことで知られ、韓国が日本に「ドイツを見習え」と言う際に引き合いに出される人物です。鳩山由紀夫元総理が訪韓中に西大門刑務所で跪いたのも、ブラントに倣ったものでしょう。

シュミット政権ではブラントの「東方外交」路線は踏襲されなかったようで、むしろNATOとの協力を重視していたようです。関連があるかは分かりませんが、シュミットはドイツ連邦共和国(旧西ドイツおよび現在のドイツ)で(おそらく)唯一ナチス時代の将兵経験者で、そのことは彼を批判する材料として燻り続けました。他方、日本の歴代首相のなかには、兵役および将校経験者は少なくないようです。

ちなみに、ドイツ国内でのシュミットのイメージというと、「ヘビースモーカー」というのが一番にくるようです。彼は禁止されていない限りどこでも煙草を手放さなかったようで、執務中でもテレビに出演中でもインタビューを受けていても、常に片手に煙草をくゆらせていたそうです。喫煙習慣があると、寿命が10年縮まるなどと言いますが、96歳で亡くなったシュミット氏は、煙草をやらなければ120歳くらいまで生きられたということになるのでしょうか(笑)。

元首相という肩書をもつシュミット氏については、名前だけでもご存知の方は多いと思いますが、もう一人のシャボウスキの名を知っている人は、ほとんどいないのではないでしょうか。ただ、彼自身のことは知らずとも、彼が発言したあるシーンについては、見覚えのある方もいらっしゃることでしょう。彼はベルリンの壁崩壊のきっかけとなった人物として知られています。


ベルリン市街にに展示されている壁の断片


その経緯については込み入っていて、正確に説明しようとするとかなり細かくなってしまうのですが、一言でいうと混乱した状況での手違いの連続の結果でした。

当時、東ドイツ国内では大規模な反政府デモが相次ぎ、混乱のなかで突然の党書記長(事実上の国のトップ)の解任動議による政権交代が起きました。新政権は、民衆を宥めるために旅券に関する暫定的な規制緩和を打ち出しました。ベルリンの壁に限らず、東側諸国から西側諸国への出国は厳しく制限されていましたが、国外への旅行および移住に関する規制が大きく緩和されるというもので、具体的には出国に必要なビザの申請が自由にできるようになり、申請されたビザは「遅滞なく(unverzüglich)」発給されるというものでした。また、この措置は「直ちに(ab sofort)」発効するとありましたが、それは正式な閣議決定後に公表されてからというものでした。

1989年11月9日、記者会見に臨んだシャボウスキは、閣議の内容を知らないままこの措置について書かれた紙を手渡されました。シャボウスキが措置について読み上げた後、記者のひとりが具体的にいつから発効となるのか質問しました。これに対し、前出の2つの単語を挙げ、シャボウスキは「私の認識では「直ちに、遅滞なく」ということです。」と答えましたが、このときはまだ政令案の段階でした。さらに、政府案には入っていなかったベルリンの壁についても含まれると発言したこと、記者側がこれを往来そのものの自由化と報じたことも相まって、実際には旅券の申請および行使の規制緩和であるにもかかわらず、多くの群衆がベルリンの壁のチェックポイントに殺到することになりました。


チェックポイントの1つの跡地


当然ながら現場は何も知らされていないわけで、殺気立った民衆を前に鎮圧も説得もできず、検問所の司令官はそれぞれの判断で相次いでゲートを開きました。こうして翌日には、文字通りなし崩し的に壁は壊されることとなりました。

ここで不思議なのは、シャボウスキの勘違いです。「ベルリンの壁を含めた」出国の規制緩和の発効時期などという危険なものを、不確かなままで一個人の認識として発言してしまうというのは、状況的にみて違和感を感じます。「直ちに」などと公言すれば、どのような結果につながるかは容易に想像がつきそうなものです。したがって、シャボウスキは意図的にベルリンの壁を開放しようとしたのではないかとする議論は、当時からあったようです。ただ、本人はそのことについては一言も語らないまま、真相を墓の下まで持って行ってしまいました(もっとも、語ったところでそれが本当である証拠はありませんが)。

ちなみに、ベルリンの壁崩壊は私が物心ついてから初めてニュースとして記憶に残っている映像です。壁の上にたくさんの人が立ち並び、ツルハシやらなにやらもって壁を破壊しているさまを見て、「この人たちは何をしているんだろう」と思ったものです。

あれから今週でちょうど26年。この期間を長いとみるか短いと感じるかは人それぞれでしょう。ただ、冷戦期に活躍した人物がこうして相次いで世を去ったことで、冷戦時代が2つほど前の時代の出来事となりつつあるように感じます。