塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

仙台探訪④:松島(瑞巌寺)

2009年10月12日 | 仙台
  
 またしばらくぶりの更新です。とりあえず松島の記事が途中だったので、これを終わらせてしまおうと思います。
 
 前回は海岸通りの見どころを紹介しましたが、松島にはもう一つ重要な観光ポイント瑞巌寺があります。伊達政宗が建立したことでも知られる瑞巌寺ですが、現在国宝の本堂を含めた10年がかりの大修築が行われており、平成30年までは全てを見ることはできないと思われます。その代わり、これまでは公開されていなかった国宝の庫裏などが公開されています。庫裏とは僧侶の居住や食事のための施設ですが、豪壮かつ繊細な装飾が施され、政宗の好みが色濃く反映された造りとなっています。

 
国宝の庫裏


 瑞巌寺の見どころをもう一つ挙げるなら、寺内に散在する名木と杉並木です。このうち、政宗が朝鮮の役に際して持ち帰ったとされる臥龍梅は、紅白2本一対の古木ですが、改修敷地内にあるため現在見ることができません。中門手前の杉に着生している石斛(せっこく)は、デンドロビウムの一種で、この種が生息する北限にあるといわれています。参道を抜けたところにあるいぶき(柏槙)は、樹齢700年以上と推測され、恐ろしいくらいに入り組んだ枝ぶりを見せています。

 
いぶき(柏槙)


 参道の杉並木は、鬱蒼として荘重であり、根本には苔が蒼々と広がり、歩いていて厳かな気持ちになります。

 
参道の杉並木


 このように風光明美な瑞巌寺ですが、その建立には政宗の最後の戦国大名としての戦略が隠されていたことが、最近明らかになってきました。政宗は生前、幕府と一戦に及んだ際の戦略シミュレーションを練っていました。それによれば、幕府軍を白石と名取川で迎え撃ち、これで防ぎきれなかった場合は松島へ退き、伊達軍が松島を囲む山の稜線で敵を鎬ぐ間に政宗は瑞巌寺で切腹するというものだったようです。そう言われてみれば、松島は一方のみ海に臨み、他の三方は山に囲まれているという、鎌倉のミニ版のような地形をしています。そして鎌倉の鶴岡八幡宮に当たる位置にあるのがまさに瑞巌寺という訳です。政宗の天下への最後の執着が垣間見えるようです。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿