塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

川原湯温泉・吾妻峡、そして八ッ場ダム

2007年07月22日 | 旅行
 群馬県の川原湯温泉へ行ってきました。川原湯温泉は、源頼朝が発見したという伝説のあるほど古い歴史を持ち、すぐ近くに名勝吾妻峡をたたえる静かで風光明媚な温泉地です。しかし、長らく争われてきた八ッ場(やんば)ダムの建設によって吾妻峡の4分の1もろとも水の底に沈む運命にあるということで、沈む前に行っておかねばと今回足を運びました。

 泊まったのは、「山木館」という慶長年間創業の古い旅館。伝統好きの我々にはたまらないアンティークな宿でした。部屋には戸や梁に江戸時代の古材が用いられ、調度品も落ち着いた感じで、入って早々感激してしまいました。


レトロな雰囲気の部屋


 お湯がさらに素晴らしく、源泉掛け流しなのですが70℃もあるためその場でお好みで水を加えるという形式でした。硫黄の香りのするお湯には湯の花が舞っていて、上がった後も汗が止まらずホクホク。運の良いことに、我々以外客が宴会目的の一組しかいなかったので、熱い湯の好きな僕は思うさま源泉を一人で愉しんでいました。


脇で水車が回る露天風呂


 一泊二食で一人1万500円だったのですが、食事も朝夕ともに地の物を中心にボリューム満点で本当にこの値段であっているのかと疑うほどでした。宿の人の対応もとても親切で、夜にはムササビまで見られて非常に満足できる宿と温泉街でした。


山木館


 それだけにダムによって温泉街が沈んでしまうのはつくづく残念で仕方ありません。その途中にダムサイトが建設される吾妻峡の風景も無事ではすまないでしょう。

 
ダムサイト建設予定地


 ウィキペディアで調べたところ、この八ッ場ダムというのは激しいダム建設反対運動で有名だったそうで、やはり膨れ上がる首都圏の需要のために歴史ある温泉地や渓谷の名勝を呑み込むような計画には当初から反対の声が強かったようだ。しかも昭和24年に計画され、計画から50年以上という最長の部類に入るこのダムは、良く取り沙汰される不要事業論の代名詞とも言える存在のようだ。

 3年後にはダムに沈む川原湯温泉も、完成後のダム湖畔に移転が計画されている。しかし、既に旅館や土産業を止めて街を離れる住民が多く、ひなびた温泉街にはさびしさも漂い始めている。土産屋に至ってはお婆さんが営む一軒だけになってしまっている。お湯もボーリングで新地点に湧いているというが、同じ泉質泉温かどうかは分からない。

 計画された当初の戦後間もなくという時代ならともかく、あの風情を目の当たりにしてあそこにダムを建設しようという発想が浮かぶこと自体、僕には到底理解しがたい。日本版三峡ダムとでも呼ぶべき愚かで益するところのない事業ではないだろうか。

 ちなみに、今回の記事に載せた他にもHPの方に写真をあげてあります。静かな温泉が好きな方には是非おすすめですので、お早めに足を運んでみてはいかがでしょうか。手遅れになる前に・・・。


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