塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

乱立簇生するクイズ番組

2008年07月19日 | 社会考
  
 このところ、テレビではクイズ番組がブームなのでしょうか?泡沫番組とでも呼べるほど、新しいクイズ番組が現れては消えていくように感じています。今週は珍しくゴールデンアワーを家で過ごす日が多かったのですが、ふとテレビをつけると、必ずどこかでこの手の番組をやっていたように思います。

 僕自身、高校時代にクイズ研究会なるものに入った経験もありクイズ自体はわりと好きなのですが、最近のこうした一連の番組には少なからず不快感を覚えています。

 というのも、出演している解答者が余りにも無知で、まるでその常識の無さを競っているようにすら思えるからです。クイズの解答者なんて人選の余地はいくらでもあるだろうに、何でわざわざ下のほうから選んでくるのかと呆れてしまいます。他のジャンルで考えれば、たとえば筋肉番付みたいな番組にわざわざアキバ系オタクみたいなのばかりを起用しているようなものです。

 では何故、無知な人材が多く起用され、あまつさえバカを売りにするような輩が現れるのでしょうか。

 単純に需要と供給の面から考えて、視聴者層が自分より下に見られる人を求めているからではないか、というのが僕の考えです。能力主義や普遍主義、個人本位などが定着しつつある現在にあって、人々は自分よりどんどん上に登って行くエリート層を仰ぎ見つつ、自分より下にもまだまだ人がいることを確認して安心したい心理が強く働いているように思います。

 それは、ますます進展する格差社会やグローバル社会にあっては、人が自分の位置を探る中で不可避の視点であるとは思います。ただ、下に見ることのできる個体をわざわざ抽出して何とか安心を得ようというのでは、江戸時代に農民の下にえた・を設けて蔑みの対象とさせたのと同じ論理であり、余りにも低劣な考え方でしょう。

 スポーツ番組などに登場する筋骨隆々の一流アスリート達は、一般視聴者からすれば届かぬ存在であり、仰ぎ見る存在です。かつてのクイズ番組にも、こうしたポジションに近いインテリと呼ばれる人々がいたように思います。それはクイズやそれに類する番組が、もちろんバラエティであると同時に、自らの知識や思考力を高めようとする視聴者のための立派な教養番組であったからでしょう。

 ところが、最近のクイズ番組は完全にバラエティ色に染まっており、扱う問題も、お水のねーちゃんを口説くのにしか使えないような雑学や薀蓄ばかりです。需要と供給が成り立っている以上、今すぐ変えろといって変わるものではないでしょうが、少しでも知識欲と向上心を満足させてくれるような番組へと方向転換されるようになればと願います。

 こうしてみると、僕なんかは何かとマスコミの堕落を批判することが多いのですが、他方で視聴者など受け手の側も拙劣化が進んでおり、結局片方だけ改善しようとするのでは上手くいかない負の連環関係があるように思うのです。

  



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