塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

脱線事故所見

2005年04月26日 | カテゴリ無し
やっと課題が一段落。
息抜きにブログでも書きなむ。



日本では何とも痛ましい事件が起きたようで。
脱線した上にマンションに激突とはとてもショッキングです。

原因はまだ捜査中のようなので断定的なことを言うべきではないのでしょうが、遅れを取り戻そうと普段より加速気味だったのは確かなようで。
今回この事故を取り上げたのは失礼ながら被害の大きさからではない。オーバーランにより「1分30秒」遅れで運行、の下りが非常に目に付いたためである。欧州人からすれば間違いなく「お前は何を言っているんだ」という反応であろう。日本にいる分には何とも感じないだろうが、ここにきて以来兎角ダイヤに関する感覚が麻痺してきている。

「ドイツ人は車が走ってなくても赤信号で待ち続ける」と評されるここドイツでさえ遅滞の表示は5分からだ。それ以内は遅れたうちに入らないということだろう。他の国々なら尚のこと。伊では時刻表が分刻みの時点で驚嘆に値するという。即ち、もし「1分30秒」の遅れを取り戻さんとした速度超過が原因であれば、少なくとも欧州では起こりえない事故だったといえるのではないだろうか。

また踏まえて考えてみると「オーバーラン」というのも少々特異に思えてくる。僕の知る限り、車両がホームから「オーバー」することは滅多に無いように思う。大抵はホーム内の「停車位置」をオーバーした際に数メートル退がる形だ。そこまで厳格に停車位置が決まっていて、ホームにドアの位置まで記されている鉄道など全く日本人故に成せる業ではないだろうか。

だからと言って運行のあり方を今すぐ変えろというわけではない。自分も日本にいれば、1分遅れては舌打ちしオーバーランすれば足を鳴らすだろう。列車がダイヤ通り運行していることは何より安全であろうし、新幹線の安全神話も緻密なダイヤがその一角を担っていると言えよう。また結果的には欧州の方が列車事故の発生率は圧倒的に高いと思われる(投身自殺を除いて)。

ただ結局のところ、目的(鉄軌道においては迅速且つ安全な旅客の輸送)に対して規律が先行してしまったとすれば本末転倒である。乗客としても遅れは取り戻して欲しいところであったろうが、其が為に今回の事故に至ったとすれば全く不幸であり、亡くなられた方々にはただご冥福を祈るのみだ。何事も過ぎたるは及ばざるが如しということでもあろうか。

  

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