塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

来年の小河ドラマ

2005年11月02日 | 歴史
最近電車の広告で見かける「Gaba マンツーマン英会話」が公序良俗に反しているとしか思えません。。

 さて、今日は歴史の話をしたいと思います。というのも、先日来年と再来年の大河ドラマが「功名が辻」と「山本勘助」と知って愕然としたからです。
 別に元々過去十年大河ドラマが僕を満足させてくれたことはないので、今更期待もしていないのですが、この先二年は輪にかけてつまらないものになるだろうと今から既にげんなりしています。原作者はそれぞれ司馬遼太郎、井上靖と一流の歴史小説家ですが、近年の大河ドラマの傾向から、どのような意図でこれらの作品が選ばれたのか良く分かるので恐らく原作の大要とはおよそ異なるものが出来上がることでしょう。
 山本勘助については「実在が近年やっと確認されたが、軍師などは務めていなかったようだ」というよく知られた見解をここに挙げれば十分と思いますが、「功名が辻」についてはいくらか説明を要すると思うので、以下その主人公山内一豊と妻見性院について述べていきます。
 
 山内一豊とその妻千代(この方が知られているので以下同)の話として広く知られているのは、信長の馬揃えに際して鏡台の裏かなんかに妻が隠しておいた持参金を夫に渡し、最も良い馬を買わせて一躍有名にさせたというものであろう。幕末に山内容堂を生む土佐20万石の礎となった逸話として、千代の賢妻のイメージとともに語り継がれている。
 大河ドラマのプロデューサーは社会党員なのか、しばしばこういった良妻賢母女性にスポットを当てた題材を選びたがる傾向がある。この場合も、仲睦まじい夫婦が順調に出世していく様がだらだらと描かれていくのだろう。女性の権限など極端に制限されていた、資料すらまともに残っていないこの時代を取り上げるのに、そこまでして男女平等を謳うことに何か意味があるのかと常々疑問に思うのだが、そこは敢えて問うまい。
 ここで重要なのはむしろ旦那の方である。先に出した幕末のこともあり、小身から大大名に出世したこともあり、後年評価に尾ひれがつくことは世の常である。しかし、この山内一豊という人物はどうやらお世辞にも人柄に優れているとはいえなかったようである。
 現代に至るまで、仕える相手が二転三転する人物は皮肉を込めて世渡り上手と呼ばれるものだが、この時代の代表人物としては藤堂高虎が良く挙げられる。しかし一豊も実は高虎に負けず劣らず主君を変えている。それ自体は生き残るすべとして間違ってはいないのだが、彼は自分の世渡り出世を鼻にかける節があった点で高虎とは異なっていた。
 とりわけ関が原の戦いでは、友人が「戦になれば家康様に自分の城をお貸しする」と息巻いたのを、先んじて家康や諸大名の前で真っ先に口にし、その功で掛川6万石から一気に土佐20万石に出世した。一豊はその友人に「他人の良いところを自分に取り込むのが出世のツボなのだ」と平気で言ってのけたという。
 普通こういった立身出世を成し遂げた人物には幾つか美談がつくものですが、一豊には全くといって良いほどこの類の逸話がない。唯一ともいえるのは、彼が土佐に入った際に前領主であった長宗我部氏の旧臣が懐かなかったため、特に反抗的な者を誘い集めて討伐した下りである。通常は汚点として残りそうな話だが、彼についてはこれが手柄話として語り継がれている。

 
 僕は「信長の野望」で捕虜なんかにすると、いつもためらうことなく斬り捨てていたほど山内一豊が嫌いなので書き方が偏りすぎているかもしれませんが、大河ドラマの一豊役が上川隆也ということで一体どんな好漢に描かれるんだろうとある意味興味津々です。

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