先日、「価格表示「税別」もOKに」という記事を目にしました。現在、法律で価格表示には税込価格を掲載することが義務付けられていますが、これを緩和して本体価格+税という形での表示を認めるということだそうです。杓子定規をやめて消費者と小売側に選択の余地を与えるものかと思ったらそうではなく、来年の消費税増税のときに値札を一斉に張り替える手間を省いて効率よく徴収できるようにするためだそうで、結局はお役人の都合による措置のようです。期間も増税から一定期間に限るそうで、官僚は本当に自分たちのためには知恵を絞って措置を講じるものです。
この記事を読んで、税込み価格表示が義務付けられたとき、小売業界は値上がり感が醸成されて消費が落ち込むと反対していたなぁという映像がふと思い出されました。やれ100円ショップが100円と表示できなくなるとか、~98と表示して割安感を出す手法が使えなくなるとかがなっていましたが、今では税込で~98で売るようになっていますし、100円ショップで実質105円払うことになるからといってショップをうそつき呼ばわりするような人もいません。
ほかにも、やる前にはギャーギャー反対の声が上がったが、いざ始めてみるとすぐに慣れたという例は、郵便番号の7ケタ化やたばこのタスポ、地デジ化にともなうアナログ放送の終了など、わりと散見されるように思います。こうした事例をこの歳までみてきて思うのは、人間は慣れる生き物なのだということです。そしておそらく、社会レヴェルの方が個人レヴェルよりも慣れるスピードが速いのではないでしょうか。
したがって、何らかの政策に反対する意見が出たとき、それが「慣れ」で解決することができるのであれば、その反対意見は考慮にほとんど値しないといえるのだと思います。たとえばTPP交渉参加問題などは、お決まりの「農家は食っていけない、大変だ」を繰り返すだけでは、おそらく「慣れ」で解決できてしまう程度だと思われても仕方がないでしょう。もっと本質的な議論を反対者の側から提示しないと、後々になって「あの時の騒動は一体なんだったんだろうね」と振り返ることになってしまうものと思われます。
人間社会と「慣れ」の関係性。これを解くことができれば、政治や社会にかなり大きな影響を与えることができる、そんな気がしてなりません。