塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

東日本大震災:裸の政府様

2011年04月16日 | 東日本大震災
   
 震災から1か月が過ぎました。徐々に復興に向けた道筋の話題も出てきましたが、なお万を超える不明者がおり、リセットしようにもその出発点にまだ立てない方も多数いらっしゃいます。

 復興に向けた活動や支援が各方面から広がりつつあるのに対し、もっとも動きが鈍いのが政府とマスコミでしょう。とくに、震災発生以来これほど民主党政権・菅内閣であることに不安を覚えたことはありませんでしたが、この不安は的中してしまったといわざるを得ません。

 政府・民主党に対する不満や怒りは、皆さん並べ立てたらきりがないと思いますが、私がもっとも許せないのは「何もしていない」という不作為に対してです。それどころか、菅内閣には今回の震災を政権浮揚や内閣延命に利用しようとしているフシがあります。さらには、そのようなパフォーマンスが覚られずに罷り通ると思っていることに、怒りを禁じ得ません。

 これを最初に感じたのは、菅総理が各方面からの情報を自分の記者会見までストップさせていたと聞いたときです。震災直後は当然情報が交錯し、マグニチュードでさえ2度発表された数値は修正されました。そのような中で、専門家でもその方面に精通しているわけでもない菅総理がお勉強して情報を整理して自分の口で説明できるようになるまで待っていたら、日が暮れてしまうのは明々白々です。誰もが何でもいいから情報が欲しいという状況にあって、誰の口から説明されるかなどは二の次です。むしろ、矢継ぎ早に飛ぶであろう質問には専門家でなければその場で答えられないのですから、緊急の会見は専門家に任せておけば良かったはずです。そこを「発表は自分がやるから、自分が理解するまで情報は出すな」というのは、劇場型演説か何かと勘違いしているのではないかと疑ってしまいます。

 発表と判断はすべて首相およびその下でやるというやり方は、原発問題で如実に弊害となって表れたと思います。福島第一原発の状況が悪化すると、政府は「放射能は問題ないレベル」「周辺産品を摂取しても大丈夫」と片方で言っておきながら、出荷制限をかけたり自主避難を呼びかけ、被災地や首都圏をさんざんに混乱させました。自分の言っていることの矛盾に政府は気づいていないのかと思うと、もはや呆れかえります。この矛盾からわかるのは、菅内閣の人たちが少なくとも放射能に関して平均以下の理解力しかもっていないということです。もし平均並みの理解力と判断力をもっていれば、良し悪しは別として「近寄るな!出荷するな!」か「大丈夫だ!うろたえるな!」かのどちらか一方のスタンスをとるはずです。理解力・判断力ともに欠けていなければ、両方のスタンスで発言をするということは考えられません。

 ではなぜこうなったか。推測ですが、「判断は自分がするから情報だけ寄越せ」と専門家や学者に詰め寄ったのでしょう。学者連中というのは、口は出すが責任は負いたくないという人種が多いように思います。そんな人たちに一蓮托生を求めたって、思い切った献策などしてくれようもありません。「危険なレベルなのか?」「おそらく大丈夫です。」「では規制はかけなくていいのか?」「そりゃあ、かけておくに越したことはないでしょう。」といったやり取りがあったのでしょう。責任は負いたくない学者ののらりくらりとした応答を真に受けて、何も考えずに発表してしまったとするのが真相ではないかと考えています。

 菅総理以下はこれを政治主導と勘違いしているのでしょうが、政治主導は何でも間でも自分で決断することではないということは、以前から指摘されてきたことでした。すべてを1人で判断することは人間の能力を軽く超えています。政治主導とは、政治的方向性を示し、あとはそれに沿って適材適所。専門家や実行部隊をうまく使いこなすことが求められているわけですが、またしても逆にうまく丸め込まれてしまった結果が現下の福島県の悲惨な状況でしょう。

 また、震災後の一連の判断がなべて密室で行われてきたことも、すでに方々で指摘されている通り大問題だったでしょう。先のパフォーマンス会見を指弾されて逆ギレ…かは分かりませんが、国のトップが何をしているか分からないという状況は、国民にいらぬ不安を与えることになります。かといって、突然一民間企業に乗り込んで怒鳴りつけるというのも、非常時にこそ冷静さを求められる立場の人間とは思えない振る舞いです。この場合首相に求められていたのは、緊急性を要する会見は専門家に任せ、自身は粛々と情報収集に努めるなり被災地入りの準備を進めるなりする落ち着いた態度と行動でしょう。

 菅内閣が震災を延命策に利用しているとはっきり指摘できるのは、仙谷由人氏の内閣官房副長官起用と自民党への大連立の打診です。とくに仙谷氏の起用は、菅内閣の旧体制への回帰を狙っているとしか思えない人選です。もちろん、災害緊急時に官邸機能を強化したいというのは理解できます。しかし、あれだけ世論の反発を買い、問責決議案まで可決された人物を持ってくることは、普通に考えればあり得ません。しかも仙谷氏に出された問責決議案の問責理由には、尖閣諸島沖中国漁船衝突事件や韓国延坪島砲撃事件に対する危機管理能力の欠如が挙げられています。危機管理能力に問題ありと国会で議決された人物を震災対応のブレーンとして起用するなど、本気で対策に乗り出す気があるのかを疑いたくなります。震災のどさくさに紛れて、以前のやり易い体制に戻そうという腹が透けて見えるようです。

 大連立に関しては、それ自体は震災対応として有力な方策の1つでしょうし、自民党内でも賛成意見が多いと聞きます。復興のためには、二大政党には協力して政策を進めてほしいとは思いますし、何より民主党だけに任せるのは不安でなりません。ただ、大連立打診の経緯をみるに、どうも菅総理本人は東北・関東の危機打開以上に自身の政権の危機打開のチャンスと考えているように感じられます。それが一番滲み出ているのが「私と責任分担をするのが嫌なのか」と迫ったとされる頼み方と、谷垣総裁が拒否した際に怒ったとされる反応です。もし本当に事態を憂えて申し入れをするのならば、突然の電話一本で、しかも高圧的に迫ることなどありえません。さらに、断られても「国のためにお願いします」と食い下がるのが憂国の為政者の反応ではないでしょうか。それをキレるというのは、何かしら自分の思惑通りに事が進まなかったからであり、「大連立は必要だ」というのとは別の理由があったからとみることができます。なかには、わざと拒否させて「こんな緊急時に協力しないとは何事か」と自民党を非難する材料にしようと考えていたとする見方まであるようです。

 このように、民主党・菅政権には災害時にあって災害対策を第一に考えていない、それどころか政権浮揚のチャンスと考えているようすがあちらこちらに透けて見えています。何より許せない、というより呆れ果ててしまうのは、そんな小手先の奸策や思惑が国民にバレていないと思っている(ように思われる)ところです。政権を浮揚させたいというのなら、慢心を捨ててこの危機に臨むより他ないというのに、牌のすり替えのようなくだらない策を弄することばかりに勤しんでいては、最後の一葉まで自らかなぐり捨てるようなものです。先日、今さら感全開で菅総理が石巻を訪れましたが、総理サイドが集まってくれとお願いしても被災者は総理のもとへは集まらなかったそうです。もはや、分かっていないのは本人のみの裸の王様と化しています。

 さて最後に、だからといって俄かに活き活きとしだした鳩山元首相や小沢元代表に代わってほしいかといえば、それはまたNOです。鳩山氏が小沢氏が菅総理を再び攻撃し始めたようですが、これはこれで震災を機に自身の復権を狙っているわけで、菅総理同様唾棄すべき態度です。事ここに至っては、ある程度事態が落ち着くまでは菅内閣でいってもらうしかありません。その上で、個人的な意見ですが、震災復興担当大臣あるいは復興庁創設などの案が出ているようなので、その長に小沢氏を起用してはいかがかと思います。小沢氏の辣腕は震災という非常時にあっては大いに役立つと思われます。小沢氏にとっても、残りの政治生命を賭すに値する役どころと思いますし、国政時と異なり後ろ指をさされることなく思うさま腕を振るうことができます。国にとっても被災地にとっても、また小沢氏にとっても死に花を咲かせるにはもってこいの妙案だと思うのですが、いかがでしょうか。