東京も、まだ余震が続いています。東北ではさらに余震は頻繁で、かつ真冬並みに寒い日が続き、その不安・厳しさは想像を絶するものでしょう。
しかし、首都圏では問題の中心が地震そのものから原発事故にともなう電力不足と放射能汚染に移っているようです。放射能はともかく、電力不足は他の電力会社から譲ってもらえば解決するように思うのですが、無理なのでしょうか?各電力会社は地域割りで殿様商売をしているのですから、こういう時にお互い融通することに経営上の問題はないはずです。今回は何らかの理由で無理というなら、次回からは可能となるように調整すべきでしょう。
また、放射能の問題も理解不能な動きを見せています。とくに政府は、現下のレベルでの汚染状況なら当該地域の農作物を摂取しても大丈夫と片方でいっておきながら、他方では農産物の出荷自粛を求めるなど、どっちに持っていきたいのか不明です。ちなみに放射能は永久に蓄積するものではなく、アルコールのように体内で処理されるもののようです。現下のレベルなら体内で処理可能な範囲ということなのですから、ウチに持ってきてもらえば、福島産のほうれん草だろうと茨城産の牛乳だろうと私は美味しくいただきます。そもそも放射能を出す原因物質を洗い落とせば安全なのですから、水洗いして湯がけば大丈夫なはずです。
さて、今日の本題は原発問題ではありません。海外から今回の大震災を見たとき、まず驚くのが被災地域で秩序が守られていることだそうです。略奪や暴動が起きていないことや、軽犯罪の多発はやむなしとしても無法地帯にはなっていないこと、さらには首都圏でエネルギー危機となった中でもコンビニやレストランにアルバイト店員がきちんと出勤していることなどが、海外の目から見ると驚きだということです。
古くからいわれている日本人の秩序正しさや勤勉さのあらわれとして、震災後しばしば取り上げられるようになり、なかには自分のことのように誇らしく感じた人もいることでしょう。たしかに、今回の震災では町単位で建物が消滅し、財産を失い、避難後も物資が届かない状況が続いているにもかかわらず、不満が爆発するような事態にはなっていません。
しかし、これが日本の他の地域だったらこうはいかないでしょう。結論からいいますと、被災地が三陸だったからここまでこらえることができているのです。これが東京だったら暴動が起きているでしょうし、大阪だったら無法地帯と化しているでしょう。
私は仙台の出身ですが、仙台は全国平均からすれば優しい土地柄だと思います。自分で言っても自画自賛になり説得力はありませんね。一応、一般的にもいわれていることではあります。また、今回の震災に関してありがたいルポルタージュを書いて下さった方もいます。ただ、東京に生粋の江戸っ子が少ないのと同じく、仙台も他県から移ってきた人が多いので、生粋の仙台っ子は半分かそれ以下と思われます。そのため、都会ならではの希薄な人間関係に伴ういざこざや無法は、被災した東北の中では残念ながらおそらく最も多いだろうと思いますが。
そんな「自称」優しい土地柄の仙台人たる私から見ても、三陸の人たちの温かさ・優しさは群を抜いています。三陸の人柄の温かさは東北では有名で、仙台の比ではありません。岩手県自体が優しい県として知られていますが、その中でも三陸は別格なのです。
ちょうど一昨年の夏、私は家族と三陸へ旅行へ行きました。どこへ行っても町の人は優しく、なにかと「あれ持ってげ」「これあっか~?」と世話をやいてくれます。1つの観光地を見終わった頃には、あっという間にパンフレットやら地図やらが10枚近くたまります。一番印象に残っているのは、浄土ヶ浜を訪れた時です。浄土ヶ浜へ車で行くと、普通は一段上の高台の駐車場に停めて歩いて下りることになります。その先には普段はバス専用の道が浜近くまで下っています。ですが、身体障害者がいるとその道を少し下ったところの駐車スペースを使わせてもらえます。その時は足の不自由な祖母がいたので、このスペースを使わせてもらおうと守衛に申し出ました。すると、守衛はスペースへの行き方からその先の注意点から見どころから、専属ガイドなみに一通りの説明をしてくれました。さらに、その脇にたまたま居合わせた何でもない誘導係のおじさんが、「ちょっと待ってろ」と言うなり向こうの事務所へ駆けていき、パンフだの地図だの割引券だののセットを持ってきてくれました。
普段だったら、余計なおせっかいが嫌いな私は上の空で適当に流して足早に去ったことでしょう。ですが、三陸の人たちは一通り世話をやかないと気が済まない!とでも言わんばかりに親切にものすごい勢いがあります。とても断りきれない親切っぷりなのです。こんなことが何度も続いて、三陸の人柄というものを改めて体で知りました。
三陸の人がなぜ優しいのか。それは何といっても三陸の生活の厳しさの故でしょう。今回の震災は1000年に1度のレベルだったといいます。それゆえ、日本最大級を誇った田老町の防波堤でも防げませんでしたが、三陸が津波に襲われるのは今回やチリ地震の時だけではありません。三陸は地震多発地帯+リアス式海岸ということで今までに度々津波の被害を受けてきました。また、吹きつけるやませは凶作をもたらし、住む土地は限られ、冬の寒さから守ってくれるものもありません。三陸地方は、おのずと人々が肩を寄せ合い助け合わなければ生きていかれない土地でした。戦国時代後期から江戸時代にかけては、さらに南部氏の圧政に苦しめられ、三陸の人々は団結して日本最大級の一揆(三閉伊一揆)を起こしました。
話を今回の震災に戻すと、被災地では苦しみの声はもちろん聞こえるものの、不満の声は状況の悲惨さに比べて驚くほど小さいといっていいでしょう。これだけ被害は壊滅的で、物資が届かず、政府も電力会社も石油会社も何をやってるのか分からないといった状況であるにもかかわらずです。これが皆さんの住む町だったらどうでしょう。私が今住んでいる周辺だったら、間違いなく暴動が起きてます。それがこれだけ被災地が静かで秩序立っているのは、ひとえに三陸だからなのです。
現に福島では、震災の被害を直接は受けていない地域が、原発事故の避難勧告区域でないにもかかわらずパニックに陥っているといいます。決して福島を責める訳ではありません。これが普通なのです。また、首都圏を見て下さい。大きな余震が続く、あるいは鉄道が動かない日があったというだけで、人々は被災地を無視してガソリンの買占めに走りました。中にはテレビのインタビューで「保育園の送り迎えに必要だから」と答える人もいました。嘆かわしいにもほどがあります。
とある番組で有名司会者が「日本人はなんて秩序正しくて素晴らしいんだ」とか何とか感動していましたが、それは日本人の国民性ではなく、岩手三陸の県民性です。これを見て、我々は「ああ、日本人は素晴らしい」ではなく、「私たちの周辺で同様の惨事が起きたらどうなるんだろう」と真剣に考える契機とすべきなのです。
ちなみに、小沢一郎大先生も岩手県人のはずなのですが…例外もやはりいらっしゃるようですね。。