塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

撮り鉄を鉈で襲撃:オタクのあり方

2011年03月06日 | 社会考
  
 だいぶご無沙汰している間にとうとう3月になってしまいました。申し訳ありません。短い2月のあいだにも実にさまざまな出来事が、とくに世界的に影響を及ぼす事件が起こりました。ですが、今回取り上げるのはかなりマイナーな話題です(笑)。

 先月6日、栃木県矢板市で49歳の男性が、寝台特急「カシオペア」を撮影していたいわゆる「撮り鉄」の集団に鉈を振り上げて「出て行かないと殺すぞ」と脅す事件がありました。現場は「撮り鉄」が集まる場所として知られ、男性は「以前から自宅の敷地に車を止められたりしていたことに腹が立った」と供述しているそうです。

 もちろん、刃物を持って人を脅すのは良くないことです。しかし、連日わがもの顔で大挙してやってくる撮り鉄の群衆に堪忍袋の緒が切れるというのは、わからないことではありません。近年増加しているといわれる撮り鉄のマナーの悪さについては、一般のニュースでもしばしば話題に取り上げられています。なかには、撮り鉄の一部が鉄道敷地内に侵入し、列車が運休する事態に発展したこともあります。上記事件の現場周辺も、撮り鉄の「聖地」と呼ばれ、早朝にやってくるカシオペアを撮るため多数の鉄道ファンが集結していたそうです。

 しかし、こうした問題は何も撮り鉄に限ったものではなく、あまねくオタク全体に当てはまることだと思います。また、鉄道ファン自体にもさまざまなジャンルがあります。その中でたまたま撮り鉄という部類が、1つのポイントに多数集結する、集結ポイントはたいてい私有地や公共施設である、そこに長時間陣取る、といった慢性的トラブルを抱えやすいものであったために、こうしてクローズアップされるようになったのでしょう。

 以前、オタクというものを竹原信一阿久根前市長の問題と無理やり繋げて記事にしたことがありました。そこで私は、広い意味の「オタク」として「趣味に没入する人」という捉え方を1つ挙げました。そこで重要なのは、「オタクの世界」すなわち「趣味の世界」は自分だけの世界であるということです。これは何も「オタク」といってイメージ的に想起される社会との交わりを忌避するようなタイプの人たちに限らず、夢中になれる趣味を持つ人すべてにいえることです。

 趣味の世界というのは、基本的には現実社会とは切り離されたところにあります。自分だけの世界であり、自分だけが主役で好きなようにやりたいようにできる世界です。この趣味の世界が自分の脳内や自分の部屋だけで完結しているなら、本当に何をしようが何を考えようが問題はないでしょう。しかし、一歩でも外の現実社会に入らなければ趣味の目的が達成できないとなったとき、そこは自分だけが良ければいい世界ではありません。現実社会のマナーや規則に従う必要が生じてきます。ところが、なかには自分だけの世界を現実社会に持ち込んでしまうオタクたちがいる。こういう人たちが全部ではないにしても、一部というには多数いるために、先のような事件が起こるということなのでしょう。

 私自身、城跡めぐりというマイナーな趣味を持っています。今はただの山林や田畑や宅地となってしまったような城跡をあちこちとめぐる趣味です。ですから、とくに車を停める時などはとくに注意を払います。私がもし問題ある撮り鉄のように自分だけの世界を引きずった人間であれば、自分の目的のために所構わず車を停め、迷惑も省みず移動を繰り返し、田畑を踏み荒らしていくことでしょう。ですが、そこは厳然とした現実社会であり、そこにはマナーやルールがあります。最低限の決まりが守れない人間は、趣味の世界を外に持ち出してはいけないでしょう。

 私の場合、駐車場の整備された城跡などほとんどありませんから、まず迷惑にならないスペースを時間がいくらかかっても探します。街中などでスペースが見つからない場合は、大きめのスーパーなどの駐車場に停め、後で必ず何か買い物をしてから出ます。おそらく公共の撮影ポイントなどない撮り鉄の場合も、同じ配慮が必要なはずです。

 撮り鉄のマナー違反が取り上げられる度にいわれているのが、「他のまっとうな鉄道ファンが迷惑をこうむっている」というものです。ですが、私はこの論法はおかしいと思っています。他の鉄道ファンがいくら困ろうと、それは内輪の問題であって、どうぞご勝手に自己解決していただければよい話です。一番迷惑をこうむっているのは周辺住民や鉄道職員などの利害関係者です。鉄道にせよ何にせよ、現実社会に迷惑をかけないということが、オタクたる者の第一の心得ではなかろうかと、やはりオタクの一種である私などは改めて思うのです。

 
迷惑な城跡ファンの例(沢山城址:町田市)
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