塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

続感

2011年03月15日 | 東日本大震災

まだ多くを語れる状況にはないようです。ひとまず、今現在感じていることを箇条書きに羅列します。

○計画停電、やるならやる、やらないならやらないでちゃんと計画してください。
 私の住んでいる地区は、何故か昨日も今日も停電は起きませんでした。計画にはもちろん組み込まれていたはずなのですが。こちらはいつ停電してもいいように備えているのですから、一度計画し発表した以上、計画通りに履行してもらいたいものです。鉄道各社が運休したから電力供給量が確保できたなどと言っていますが、その電力を使ってしまえば、また翌日足りなくなるのですから、計画停電をやめる理由にはならないのではないでしょうか?
 我が家はいつ停電が来てもいいように準備はできています。ぜひ、計画通り停めて下さい。その先のさらなる惨事を防ぐために。

○電話回線
 東京で地震に遭った時、その2日前にやはり東北で大きめの地震があったこともあり、自分のところの揺れ以上に「これが仙台の方ならまずい!」と思い、即座に固定と携帯の2つで間断なく電話を掛けました。運よく1度だけつながり、声はほとんど届かないものの、身体の無事は確認できました。
 しかしその後、通信各社の通話規制がはじまり、まったく通話できない状態となりました。まったく感情的ですが、なぜ規制をするのかさっぱり分かりません。災害時だからこそ、通信手段はフル稼働をもって臨むべきなのではないでしょうか?おかげで、多くの人がお互いに安否確認をできない状態となり、不安な時間が延びる一方です。そのくせ、テレビ局と役場の災害対策課などとの電話は通じていて、テレビでこれ見よがしに話しているのをみると、腹が立ちました。そんな回線があるなら、もっと必要な人に振り分けろ!と言いたいですね。

○CM
 昨日あたりから、民放にはCMが入るようになりました。自粛する企業もあれば、普通に流す企業もあるようです。企業の経済活動も重要ですから、流すと割り切ってもらえば別にそれはそれで、です。ただ、自粛した企業の枠分なのか、流れるCMの8割以上がAC(公共広告機構)のものに切り替わっています。1日中ACの同じCMを繰り返し繰り返し聞かされ見させられて、いいかげんにしてほしいと思います。自粛したんならそもそも流さないでほしい。その間に伝えられることがもっとあるでしょう。それとも、ACなら内容的に許されるとでも思ってるんでしょうか?いくらなんでもそれは傲慢です。「自分たちはいいことを言っているんだから、代わりに流しても許される。」そんなACの傲岸な思い上がりが透けて見えるようです。