塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

春風に吹き誘われて小旅行

2005年03月26日 | カテゴリ無し
木・金と、ニーダーザクセン州の州都ハノーファーとツェレという町へ行ってきました。
ハノーファーは名前を聞いたことがある人も多いのでは。世界史でもお世話になる名前だそうです。
ツェレというのはハノーファーから20分ほど北にあり、城壁内の旧市街が良く保存されているのだそうだ。
今回はどちらかというとこのツェレのほうがメインで、初日にそこまで行き宿もそこでとった。

今回、電車に乗ってから大きなミスに気がついた。
カメラを忘れてしまったのだ。写真魔ではないが、風景写真を撮るのは大好きなので、一時パニックに陥ってしまった。
携帯も我がカメラつきなんぞ買うはずもないので、とにかく諦めようと努める。
ハノーファーまでは急行で約3時間半。思ったより遠かった。
というよりルール工業地帯が思ったより大きかった。

ツェレの駅から旧市街までは10分ほど歩かなくない。
通り脇の公園を歩いていくと、木立の影からまず白亜の宮殿が姿を現した。
しかしこれだけならもう驚かない。宮殿ならデュッセルドルフにもあるし、”城”ならともかく”宮殿”への興味は然程大きくは無いからだ。

更に堀を渡っていよいよ旧市街へ。

カメラを忘れたことがまたも悔やまれてならない。
木組みと赤屋根の家々が延々と続いているのだ。
ここまで完全に残されている町はここでも未だ見たことがない。

更に面白いのは、旧市街の城壁跡が今は道路として巡っているのだが(大抵の町ではそうなっている)、この城壁道路を境に時代が飛んでいるのだ。
城壁の外には新しい建物が立ち並んでいるが、城壁内にはそういった近代的建造物はほぼ皆無なのだ。

ツェレの木組みの家は少々特徴的で、階が増えるごとに少しずつ通りにせり出す形をしている。
これは当時税金が敷地面積で決められていたことによるという。
またしばらく街中を散策していると、確かに目線を上げれば中世そのものなのだがふと通りに目を下げると、それらの家々は薬局だったり、大手チェーンの服屋だったり、あまつさえデパートであったりするのだ。
京都のマックは焦げ茶色だったと思うが、ここのは真っ黒と更に申し訳なさそうだ(京都よりも配慮されているということになるのだろうか)。

勿論戦災を免れたというのが第一だが、人々の景観保護の意識が全体的に高いことを思わせられた。

宮殿のツアーに参加し、町を一通り見回った後、通りのカフェの一軒に腰を落ち着けた。
珈琲を飲みながら、持っていたメモ用紙に町の風景を走り書きする。
当然絵心などないからそれで満足とは行かないが、カメラがない以上仕方がない。

そうこうするうちに珈琲タイムも過ぎたので、今度はビールを注文。
一杯あけた後夕食へ向かう。
このあたりはピルスビールだろうから、知ってる銘柄ばかりだろう(ピルスは全独的に飲まれている)思っていたのだが、なかなか様々な種類があって面白い。

さて宿に戻って、部屋でまた飲もうと注文し、待っている間にフロントと幾らか喋っていると、
「もう直ぐフロントは閉めるから、その後外へ飲みに行かないか。」
と誘われた。
当然それはいいと二つ返事なわけだが、奇妙な感慨が湧き上がった。
日本でフロントが客を飲みに誘うなんてありえないでしょ?
まあ、飲食店の店員が仕事中にビール喰らってる国なんだから別に驚くことでもないんだろうけど。

というわけで旧市街の居酒屋でまたグラスを傾ける。
大した話はしていないのだが、面白かったことはこの上ない。
ハノーファーでなくツェレに宿をとって本当に良かった。

翌日のハノーファーは語る言葉もございません。
雨の上に祝日でした。ツーリストインフォメーションすらお休みなのです。
いくらなんでも観光くらいさせてくれるだろうと踏んでいたのが大きな間違いでした。
とにかく何にも出来ない上に雨で町を歩く気力さえそがれたので、すごすごとそのまま帰路につきました。