私の兄弟達、色々な試練に出会う時は、この上ない喜びと思いなさい。信仰が試される事で忍耐が生じると、あなた方は知っています。あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けた所のない人になります。 あなた方の中で知恵の欠けている人がいれば、誰にでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。 いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。(ヤコブ1:2-6)
先週、聖書には名前は知っていても、よくは分からない人がいると言う話しをしたが、実際、聖書はそういった人達がほとんどで、30-40分のメッセージをつくれるだけの情報がある人の方が逆に少ないと言える。以前、旧約のヤコブについて、5週連続でメッセージをしたが、新約のヤコブの方は、残念ながらメッセージの題材としては情報量が少な過ぎる。新約聖書には5人のヤコブがおり、ヤコブ書の筆者がどのヤコブであるかについては諸説あるのだが、それが主の兄弟ヤコブとして全体を読み進めて行くと、今までよく分からなかった義人ヤコブの姿が、少しずつ見え始めて来るのである。
先週、聖書には名前は知っていても、よくは分からない人がいると言う話しをしたが、実際、聖書はそういった人達がほとんどで、30-40分のメッセージをつくれるだけの情報がある人の方が逆に少ないと言える。以前、旧約のヤコブについて、5週連続でメッセージをしたが、新約のヤコブの方は、残念ながらメッセージの題材としては情報量が少な過ぎる。新約聖書には5人のヤコブがおり、ヤコブ書の筆者がどのヤコブであるかについては諸説あるのだが、それが主の兄弟ヤコブとして全体を読み進めて行くと、今までよく分からなかった義人ヤコブの姿が、少しずつ見え始めて来るのである。