更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。(21:2)
ヨハネが見たこの幻は、遡ること約800年前、イザヤが見ていた同じ幻だった。神の民が待ち焦がれている天のエルサレムは、新たに創造されるのではなく、第三の天において既に存在しているのだ。そして、それがこの世の終わりに「天から降って来る」。この事は、新約聖書によってはじめて解き明かされた神の奥義であった。我々は天国へと昇って行くのではない。天国の方が、私たちの元へと降りて来るのである。(メッセージより抜粋)
ヨハネが見たこの幻は、遡ること約800年前、イザヤが見ていた同じ幻だった。神の民が待ち焦がれている天のエルサレムは、新たに創造されるのではなく、第三の天において既に存在しているのだ。そして、それがこの世の終わりに「天から降って来る」。この事は、新約聖書によってはじめて解き明かされた神の奥義であった。我々は天国へと昇って行くのではない。天国の方が、私たちの元へと降りて来るのである。(メッセージより抜粋)