聖書は旧約・新約合わせて66巻。テーマは一貫してイエス・キリスト!その内訳は・・
旧約=イエス・キリストの準備
福音書=イエス・キリストの顕現
使徒行伝=イエス・キリストの伝達
書簡=イエス・キリストの理解
黙示録=イエス・キリストの完成
聖書を読む時は、自分の感情や先入観を捨てるべし
「子供は天国に行けるのですか?」と誰かに聞かれたら、あなたは聖書の何処をググりますか?ここで大切なことは、自分の感情や道徳や、「私のイエス様だったらこうあって欲しい!」といった個人の希望的観測ではなく、あくまで「聖書にどう書いてあるか?」が問題です。
ここで思い浮かぶのは、マタイ19:13-15の子供が登場する場面ですよね。イエス様はここで、「天国はこのような者たちのものである」と言われました。「だから子供は、無条件で天国行きなんだ!」と多くの人は考えていますが・・ちょっと待って。
イエス様は、よく喩え話しをセットでお語りになられれますよね。実はこのお話しも、二つで一つのセットなのです。そのもう片方のお話しとは、お金持ちの青年の話し(マタイ19:16-30)です。この二つのお話しがセットだったとは私も驚き! 今回の学びは、この喩え話しから、「金持ちは救われないのですか?」という質問から始まりました
自分はパーフェクトだと思っていた青年は、イエス様から「あなたの全財産を売り払って貧しい人に施しなさい」と言われて、彼は悲しそうにイエス様の前から去って行きました。
ですけれども、その人が救われるか救われないは、その人がお金を持っている持っていないとは関係ないですよね。ここで問題だったのは、彼がお金を持っていたことではなくて、彼が天国よりもお金を優先したことにありました。
また一方、当時のユダヤ社会では、女と子供は数に入らない存在でした。ここで言う子供とは、この金持ちの青年と対比させた、社会的に役に立たない者、取るに足らない存在と言う意味で、お金持ち=地獄、子供=天国という単純な意味ではないのです。
つまり、このお話しは、誰が天国に行けて、誰が天国に行けないのか?というお話しではなく、ズバリ、「天国を受け入れる人と、天国を受け入れられない人」がテーマです。こう理解すると、今まで曖昧だった理解が、スッキリしますよね。
恵みと真理には順序がある
イエス様は「恵みと真理に溢れておられる方(ヨハネ1:14)ですが、私達がそれを受け取る時、順序が大切です。恵みよりも真理が先に来てしまうと、自分にとって都合の良い真理?を求めることになってしまいます。それは『人生の教訓』かも知れませんし、『歴史上の偉人の考え』かも知れませんが、それは結果的に、自分に合った真理が個々に立てられてしまう事になり、その時点でそれは『真理』ではなくなってしまいます。いわば、現代におけるコンビニエンス的宗教=ヒューマニズムですよね。
大切な事は、まず最初に神様からの恵みを受けること。それによって本当の真理が何であるかが見えて来ます。真の恵みを与える事がお出来になるのは、この世においてイエス・キリストただ一人。その人その人によって、それが恵みだと感じるものは違うと言われるかも知れないけれど、それは本当の恵みじゃない。心の平安、身体の健康、経済的祝福、人間関係等々・・これらは全て、イエス・キリストによって与えられるものなのです。ハレルヤ (written by Yuka Watanabe / Aug-29-2015 at A2HC)
A2HCのリーダー 渡邊考至氏(左)とえんぢぇる田中先生
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福音書=イエス・キリストの顕現
使徒行伝=イエス・キリストの伝達
書簡=イエス・キリストの理解
黙示録=イエス・キリストの完成
聖書を読む時は、自分の感情や先入観を捨てるべし
「子供は天国に行けるのですか?」と誰かに聞かれたら、あなたは聖書の何処をググりますか?ここで大切なことは、自分の感情や道徳や、「私のイエス様だったらこうあって欲しい!」といった個人の希望的観測ではなく、あくまで「聖書にどう書いてあるか?」が問題です。
ここで思い浮かぶのは、マタイ19:13-15の子供が登場する場面ですよね。イエス様はここで、「天国はこのような者たちのものである」と言われました。「だから子供は、無条件で天国行きなんだ!」と多くの人は考えていますが・・ちょっと待って。
イエス様は、よく喩え話しをセットでお語りになられれますよね。実はこのお話しも、二つで一つのセットなのです。そのもう片方のお話しとは、お金持ちの青年の話し(マタイ19:16-30)です。この二つのお話しがセットだったとは私も驚き! 今回の学びは、この喩え話しから、「金持ちは救われないのですか?」という質問から始まりました
自分はパーフェクトだと思っていた青年は、イエス様から「あなたの全財産を売り払って貧しい人に施しなさい」と言われて、彼は悲しそうにイエス様の前から去って行きました。
ですけれども、その人が救われるか救われないは、その人がお金を持っている持っていないとは関係ないですよね。ここで問題だったのは、彼がお金を持っていたことではなくて、彼が天国よりもお金を優先したことにありました。
また一方、当時のユダヤ社会では、女と子供は数に入らない存在でした。ここで言う子供とは、この金持ちの青年と対比させた、社会的に役に立たない者、取るに足らない存在と言う意味で、お金持ち=地獄、子供=天国という単純な意味ではないのです。
つまり、このお話しは、誰が天国に行けて、誰が天国に行けないのか?というお話しではなく、ズバリ、「天国を受け入れる人と、天国を受け入れられない人」がテーマです。こう理解すると、今まで曖昧だった理解が、スッキリしますよね。
恵みと真理には順序がある
イエス様は「恵みと真理に溢れておられる方(ヨハネ1:14)ですが、私達がそれを受け取る時、順序が大切です。恵みよりも真理が先に来てしまうと、自分にとって都合の良い真理?を求めることになってしまいます。それは『人生の教訓』かも知れませんし、『歴史上の偉人の考え』かも知れませんが、それは結果的に、自分に合った真理が個々に立てられてしまう事になり、その時点でそれは『真理』ではなくなってしまいます。いわば、現代におけるコンビニエンス的宗教=ヒューマニズムですよね。
大切な事は、まず最初に神様からの恵みを受けること。それによって本当の真理が何であるかが見えて来ます。真の恵みを与える事がお出来になるのは、この世においてイエス・キリストただ一人。その人その人によって、それが恵みだと感じるものは違うと言われるかも知れないけれど、それは本当の恵みじゃない。心の平安、身体の健康、経済的祝福、人間関係等々・・これらは全て、イエス・キリストによって与えられるものなのです。ハレルヤ (written by Yuka Watanabe / Aug-29-2015 at A2HC)
A2HCのリーダー 渡邊考至氏(左)とえんぢぇる田中先生
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