Good News Report

Good News Station の活動模様をお伝えしています。

パノラミック聖書メッセージ

2015年07月06日 | Good News
GOOD NEWS STATION LAに夏到来!今日は何と1年ぶりのえんぢぇる師ライブ礼拝 今日のお天気ややや曇り空で、体感温度は若干涼しく感じましたが、その分、霊に熱く、鋭く、厳しく、(時に優しく?)語られました。本日のテーマは『聖書を読むことってこんなにスゴイ』の第一巻。

日本最初の国家、邪馬台国が存在していたのはAD300年頃。日本人のルーツを告げる古事記と日本書紀が記されたのは、それから約400年後のAD700年頃。そういった文献や記録が残っているにも係らず、邪馬台国の場所は未だ確定されていません。聖書はそれよりも遥か遥か昔、今から4千年以上前の出来事が明確に記され、その内容の場所もほぼ確認されています。

それは、聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ(Ⅱテモテ3:16)、神様が私たち人間に与えてくださった大切なメッセージだからです。聖書は私達がこの世で生きている間にしか読むことができず、全知全能の神様が書かれていることなので人間が類推出来ないところは多々あります。それでも聖書を読むと言うことは、あなたの人生における必要不可且つ貴重な体験なのです ところが残念なことに、多くの人達は、枝葉の先ばかりを細かく研究しているばかりで、聖書全66巻という“大樹”を見逃していまっています。枝葉部分も大切なのですが、あくまで幹あっての枝葉。“神様は聖書を通してあなたに何を訴えているのか?”という超基本テーマに至るには、先ず聖書の全体像を把握しなければ、その意味と面白さは分かりません。

 『でも、聖書って日本からは遠く離れた中東での出来事でしょ?』と疑問を持つ方と、枝葉勉強会のクリスチャン達のために、今から4千年前の人、アブラハムから話しが始まりました。聖書は日本から遠く離れたユダヤ民族と彼らの歴史について書かれてありますが、厳密に言うと、最初に神様が選んだのはユダヤ民族ではなく、アブラハムという人、個人でした。では何のために神様はアブラハムを選んだのでしょう?それは彼を祝福し、彼を通して人々を祝福するためでした

主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし あなたを祝福し、あなたの名を高める祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る。」 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。(創世記12:1-4)

 この聖書の言葉を、今から4千年前の出来事として捉えるのではなく、神様が祝福するためにアブラハムを選んだように、「私(あなた)」を選んだのも同じ目的であると言うこと。この神様とアブラハムとの約束は、神様と私(あなた)との約束でもあると受け取る時、初めて聖書の言葉は自分のものとなる。それが日々、えんぢぇる師が口酸っぱく言い続けている“適応”なのです。

 アブラハムはBC2千年くらい前の人。その後、イサク、ヤコブ、そしてイスラエル12部族が誕生し、ヨセフがエジプトでNo2の地位に登りつめたことによって、イスラエル民族は飢饉から逃れてエジプトへ移住し、一時事なきを得ます。ところが、ヨセフの死後、約400年間、イスラエル民族はエジプトで奴隷の立場にまで落ちてしまいます(それはどうして?)。それから登場するのがモーセで、彼によってイスラエルのエジプト脱出劇が始まりました。

 出エジプトで最もドラマティックなシーンと言えば、紅海(葦の海)を分ける有名な場面ですが、モーセに従っていたヨシュアも、同じような奇跡を行っています。エジプトを出てから40年間の荒野生活を経て、ようやく約束の地に入る手前でモーセは生涯を終え、彼の後を次いだ次世代リーダーのヨシュア。このヨルダン川を渡れば遂に約束の地だ!そこでヨシュアは川の流れをせき止め、民全員を川越えさせて、無事目的地まで到達しました。

 モーセは海を分け、ヨシュアは川を分けましたが、その方法は異なっていました。モーセは、「杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。(出エジプト14:16)」一方ヨシュアは、「あなたは契約の箱を担ぐ祭司たちに、ヨルダン川の水際に着いたら、ヨルダン川の中に立ち止まれと命じなさい。(ヨシュア3:8)」轟々と流れている川辺に一歩足を踏み入れた時、奇跡は起きました。ここで今日のえんぢぇる名言:「もしここで川辺の祈り決起大会で終わっていたら、彼らは一生川を渡ることは出来なかった!」

 モーセが海を分けた奇跡は、ただ神の恵みによって救われることを意味し、ヨシュアが川を分けた奇跡は、クリスチャンとしての歩み、つまり聖化を意味していることを教わりました。“ここ、大感動” 恵みによって贖われ、悪の支配下にあるこの世から脱出出来たものの、荒野生活に嫌気がさし、肉を食べたいだの、水がないだのと文句たらたらの民は正に堕落したクリスチャンの姿そのもの。しかし、そういった困難の中で、主の言葉に従って歩んで行くキリスト者だけが約束の地に辿り着くことが出来るのです。そして彼は最後にきっぱり、自分は最後まで主に従い通すことをこう宣言しました。

主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に仕えなさい。もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」(ヨシュア24:14-15)

 メッセージの前に、教会員一人一人の一年間を振り返り、置かれた場所で花を咲かせることの大切さを奨励されました。サボテンは砂漠の中で花をつけ、水芭蕉は清流の中に花を咲かせる、その逆はない。というお話しでした。このヨシュア最後の言葉に、彼が咲かせた美しい花を見ることが出来ます。そして私も、サボテンや道端のシロツメクサかも知れないけれど、私だけの人生の花を咲かすこと、そしてそれが誰かの救いにつながることを願っています。

 次回はパノラミック聖書講釈の第二弾!音声や筆記だけでは伝わらない生の感動を是非、一緒に体験しましょう!7月12日、午前10時からグレンデールにて。詳細はこちらまでお問い合せください 213-324-6942 / MUTSUMI

  



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