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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。
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コレクション大航海(神戸市博)+竹中大工道具館

2024-03-11 21:24:25 | 行ったもの(美術館・見仏)

竹中大工道具館 企画展『鉋台をつくる-東京における台屋の成立と発展』(2024年3月2日~5月19日)+常設展

 先々週、仕事で広島に行った帰りに自費で神戸に1泊して、半日だけ遊んできた。目的の1つめは、以前から行きたいと思っていたこの施設を訪ねること。新幹線の新神戸駅を出て徒歩3分くらいの位置にある(ただし新神戸駅前の導線は慣れないと分かりにくい)。

 どこかのお屋敷みたいな門を入ると、ガラスの壁面に黒い瓦屋根を載せた、大きな平屋の建物が目に入る。地上は1階だが地下は2階まであって、天井の高い展示スペースが設けられている。床や天井には良質の木材が豊富に使われていて、木の匂いが心地よい。もとは神戸市内の別の場所にあったが、2014年に現在地(竹中工務店本社跡地)に新築・移転してきたとのこと。

 1階ホールでは「鉋台(かんなだい)をつくる」と題した企画展が開催されていた。木材の表面を滑らかにする鉋(かんな)は、刃物の鉋身と木製の鉋台から成る。鉋台のほうが消耗が激しいので、台屋という専門職人が昭和の頃まで活躍していた。本展では、名人と言われた伊藤宗一郎さん(1922-2017)が店主をつとめていた三鷹の「やまあさ伊藤商店」の店内が再現されていて興味深かった。このお店、ホームページを見つけたが「最終処分セール」をうたっているので、まもなく閉めてしまうのかもしれない。ひとくちに「鉋」と言っても、実にさまざまな形態があることも初めて知った。

 常設展にはいろいろ見どころがあるが、企画展の流れで、つい鉋が気になってしまう。今のような台付き鉋が大陸から伝わったのは室町時代とあったと思う。それ以前、木材の表面を滑らかにするために使われていたのは、槍鉋(やりがんな)。

または釿(ちょうな)。実際に釿(ちょうな)で仕上げた板も展示されていたが、鉈彫りの仏像を思わせるようなデコボコが残っていた。

平安~鎌倉の絵巻物によくある建築風景(というか、絵巻物をもとに再現されたもの)。

 このほか、名工・西岡常一氏の技術ノートがあったり、鋸(のこぎり)の名工が刀匠みたいに顕彰されていたり、体験展示も豊富で楽しかった。また来よう。

神戸市立博物館 企画展『コレクション大航海 蝦夷発→異国経由→兵庫行』(2024年2月10日~3月17日)

 同館が有する豊富な古地図コレクションから、蝦夷地(北海道)の古地図を紹介する。日本の存在が西洋世界に知られるようになっても、蝦夷地は、島だったり半島だったり、無視されたり、楕円形をしていたり、妙に巨大だったり、なかなか全貌が明らかにならなかった。あわせて、江戸時代の異国趣味に基づく洋風画、工芸、のぞきからくりなども展示。あまりお客さんは入っていなかったけれど、私は好きなテーマなので楽しかった。

 館内のおしゃれカフェ『TOOTH TOOTH 凸凹茶房』に初めて立ち寄る。『聖フランシスコ・ザビエル像』をモチーフにしたポップな紙製コースターを貰ったんだけど、ポップ過ぎて、ちょっと写真を上げるのをためらっている。

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2024木場の河津桜と日本橋のおかめ桜

2024-03-09 21:09:31 | なごみ写真帖

 寒い日が続いていたが(金曜の朝はうっすら雪)今日は久しぶりによく晴れたので、木場の河津桜と日本橋のおかめ桜を見てきた。

 木場の大横川沿いの河津桜は、去年初めて見に行ったもの。永代通りの沢海橋から北側を眺めて、もはや見頃であることを確認。老婦人の二人連れが「花の下は歩けないのかしら」「もっと近づけると思っていたのに」と話しているのが聞こえたので、近づいて「もう少し先に行くと遊歩道になっていますよ」とお声がけする(去年は私もとまどったので)。

やっぱり、この河津桜は真下に立って見上げたい。ピンクの雲のような、みっしりした花付きが圧巻。

もう少し花色が薄い品種もあるが、とにかくみっしり咲いている。だいたい名所と言われるところのサクラは老木が多いので、樹は大きいが、こんな花の付き方はしない。

だが、花のまばらな老木にも味わいがある。徒然草の「花は盛りに、月は隅なきをのみ見るものかは」は、季節の順序としての「花の盛り」を言ったものだが、樹の年齢の「盛り」にも同じことが言えるように思う。

 そして今年も、続けて日本橋あじさい通りのオカメザクラを見に行く。昨年よりも時期がよかったのか、ピンクが濃くて勢いがある印象。

オカメザクラは、本来、あまり高くならない品種だというが、なるべく下枝を伐採して、高い位置で花が咲くように樹形を整えているように思う。というのも、道を行き交うのは人間だけではないので、大きなトラックが停車するとこんな感じになってしまうのだ。

近代的なオフィスビルを背景にした桜の、非日常感にわくわくする。ようやくコロナ禍が一段落して、旅行者らしい外国人の姿も多かった。

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信用調査に見る近世大坂の社会/三井大坂両替店(萬代悠)

2024-03-07 23:26:20 | 読んだもの(書籍)

〇萬代悠『三井大坂両替店(みついおおさかりょうがえだな):銀行業の先駆け、その技術と挑戦』(中公新書) 中央公論新社 2024.2

 三井高利が元禄4年(1691)に営業を開始した三井大坂両替店は、両替店を名乗りながら両替業務にはほとんど従事せず、基本的に民間相手の金貸し業を主軸とした、大型民間銀行の源流である。本書は、三井に残る膨大な史料群を読み解くことで、江戸時代の銀行業の基本業務がどのように行われていたかを解明する。

 本書は、はじめに三井大坂両替店の店舗の立地や組織・人事の概要を示す。おもしろかったのは、奉公人の年齢構成・昇進・報酬などの分析である。少し前に読んだ、戸森麻衣子氏の『仕事と江戸時代』にも書かれていたが、奉公人は住み込みで独身の共同生活を強いられた。そこを辛抱すれば、退職金(元手銀)を得て、家庭を持ち、自ら商売を営むことができた。住み込み生活は10~13歳の子供時代から始まるが、共同生活に合わない者は、早々に脱落して辞めていく。あまり辞められても困るので、店側は昇給や報酬制度によって、真面目に長く勤務したほうが得になることを示す。さらに熟練の奉公人を引き留めるため、勤続24年目前後(役職つき、30代後半)には退職金が大きく上昇する仕組みをつくっていた。やっぱり勤労意欲を引き出すのは、抽象的なスローガンではなく、こういう賃金モデルだよなあ、と感心した。

 家庭を持てない男たちは、遊所通いで憂さを晴らした。三井の大坂呉服店と大坂両替店は、道頓堀の芝居茶屋を出入り茶屋として指定していたことが分かっている。京都呉服店では遊興人数に応じて定額を茶屋に支払っており、奉公人にとっては、通勤・家賃補助ならぬ遊興補助だったという。この話は、2020年の歴博『性差(ジェンダー)の日本史』でも取り上げられていたと記憶するが、現代日本人の労働スタイルのよくない原型を見るようで、うんざりもし、悲しくも思った。

 次に金貸し業には必須の、顧客の信用調査について説明する。大坂両替店には「日用留(にちようどめ)」「聴合帳(ききあわせちょう)」などと記された、享保年間(1730年代)から明治に至る信用調査書13冊が残っているという。借入希望の顧客が現れると、平の手代たちが情報を聞き込みに行って、その人柄・身上柄(家計状態)・担保物件の実態などを書面で上司に報告するのである。人柄は「実体(じってい)」「篤実」「質素」などが好まれ、「不身持」「派手」「山師」「我儘」などが嫌われるのは納得できる。

 家庭内のゴタゴタが詳細に記録された報告書もあり、その中に、隠居した母親が、不品行の当代家長から財布(金遣いの権限)を取り上げてしまった家族の例があった。著者の説明によれば、近世の家長は「家」の一時的な代表者に過ぎず、先祖から譲り受けた財産を子孫につないでいく義務があった。その義務を果たせない、不適格な家長の場合、親族たちは「家」の代表権限を取り上げ、強制的に隠居させることができた。「男性家長の権限が強くなり、強制隠居の執行などが公認されなくなったのは、家長個人に家産の所有権を認めた明治民法(1898年施行)以降のことである」という記述を読んで、なるほどと腑に落ちた。いわゆる「家父長制」って、実は近代の産物なんだな。

 担保の不動産に関する報告書は、家屋敷の評価基準が分かって、おもしろかった。もちろん老朽(築古)物件よりは新築(築浅)物件のほうがよい。しかし新築でも粗雑で出来栄えの劣る建物はよくない。土蔵の有無と状態はとても重要(へええ)。角屋敷や橋筋、あるいは繁華な地域に位置した家屋敷は、商売が始めやすく、すぐに買い手がつくので好ましい。遊郭に近いことも、夜の商いができる好条件と見られた。徹底して商いの都なのだ。

 このような信用調査は、大坂両替店だけでなく、他の金貸し業者(御為替組)でも行われていた。大坂商人たちは、厳しい信用調査に通らなければ、御為替組の低利融資を受けれられないので、日頃から誠実かつ品行方正である必要があった。いわば巨大な「防犯カメラ」のある監視社会のようなものである。一部で唱えられる「江戸時代、日本人の多くは誠実であった」という言説に対して、本書は、なぜ人々は、周囲から誠実な人柄と見られなければならなかったかを明らかにする。最後は意外な着地点だが、おもしろかった。

 2023年の三井記念美術館『三井高利と越後屋』展には、契約文書や帳簿が山ほど出ていて、見た目は地味だけど、三井のアーカイブすごい!と心ときめいたものである。まだまだ研究が進めば、江戸時代の社会風俗について、分かることがたくさんあるんじゃないかと思う。楽しみである。

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コロナ・パンデミックを振り返る/感染症の歴史学(飯島渉)

2024-03-05 23:31:05 | 読んだもの(書籍)

〇飯島渉『感染症の歴史学』(岩波新書) 岩波書店 2024.1

 コロナ下で読んだ『感染症の中国史』(刊行はもっと前)の著者の新刊が出たので読んでみた。はじめに新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的な流行)の「起承転結」を振り返り、この経験を感染症の歴史学に位置づける。2019年に中国武漢で発生した新興感染症COVID-19は、2020年初頭から世界に拡大し、3月、WHOが「パンデミック」を宣言した。「これほど長く、大きなパンデミックになるとは、ほとんどの人が予想できませんでした」と著者は書いているが、もっと短く終わると考えていたかといえば、私はそうでもなかった。この先どうなるかは全く予想できなかったけれど、マスクをして、人との接触を減らせば、命の危険は少ないというのは、そんなに受け入れがたい状況ではなかった。

 本書を読むと、わずか4年間のできごとなのに、すでに忘れていることがあるのに驚く。それから、さまざまな政策や議論を振り返ると、まさにその渦中にあったときとは、少し違った感慨を抱くものもある。全国民を対象とした一律給付(10万円×2回)は、まあ悪くない施策と思っていたが、本当に効果的だったのか。膨大な赤字を国債で補うことになり、国債発行への警戒感を大幅に緩めてしまったというのは、おそろしい。東京五輪の開催を強行するため、ワクチン接種を急ぎ、大きなお金が動いたことも見逃せない。海外各社から高額なワクチンを買い付けたが、相当数(約8000万回分)が廃棄されたという。そもそも2018年にmRNAワクチンの開発研究を凍結したこと(厚生労働省が研究資金の交付を不認可)から、国の責任を検証してほしい。

 著者は「感染症が世界(歴史)を変えた」という「疫病史観」には否定的で、新型コロナは、もともとあった問題を可視化させたと考える。日本社会への問題提起として挙げられているのは3つ。第一に日本の福祉国家としての持続性。財政収入に合わない社会保障を提供していくことはできないというのは正論だが厳しいなあ。では、どこを削減するのが公平か、という難問が待ち構えている。第二に外国人問題。すでに日本は、外国人労働者やインバウンド消費抜きには立ちゆかない国になっている。第三に国家の役割が肥大化したにもかかわらず、その救済対象から漏れてしまう人々の存在。国の役割を補完するコミュニティの不在が明らかになってしまった。

 本書後半では、天然痘、ペスト、マラリアの歴史を取り上げる。天然痘の克服はジェンナーの「牛痘」の発見によるが、中国では「人痘」が試みられており、その方法は琉球王国にも伝えられていた。順治帝が天然痘で早世したため、免疫を持っていた康熙帝が兄をさしおいて帝位についたという説は初めて聞いた。近代に至ると、健康な兵士と労働者を必要とする国家によって種痘が強力に推進された(むろん植民地経営のためにも)。

 ペストについて「黒死病がペストだったかどうかについては長い間さまざまな議論がありました」という記述に驚いた。中世の人骨のDNA分析によって、黒死病=ペストであることが確かめられたが、起源や伝播をめぐっては、なお議論があるそうだ。人骨から採取されたDNAの分析が可能になったことで、新石器時代にもペストの流行があったことが分かったという。ヨーロッパのペスト体験(隔離、都市化、階級分化)には新型コロナとどこか似通った印象がある。

 マラリアは、蚊が媒介する感染症のひとつで、20世紀後半、殺虫剤であるDDTを利用した根絶計画が世界各地で展開された。DDTの毒性を告発したのがレイチェル・カールソンの『沈黙の春』で(そうだったのか!)以後、DDTによる感染症対策にストップがかかる。1997年、橋本龍太郎首相は国際的な寄生虫対策をリードする「橋本イニシアティブ」を立ち上げ(初めて聞いた)、東南アジアやアフリカに人材派遣・技術協力を行った。ある意味、感染症対策を政治化したということもでき、今日の中国の対アフリカ施策にも受け継がれた。

 短いスパンで見る限り、本書の中にも引かれている「感染症対策に勝者はいない」という表現は正しいだろう。しかし人類が長い歳月をかけて克服した感染症もあるので、そこに到達するためには、記録と記憶をきちんと残す作業が必要だと思う。ドイツに例があるという公衆衛生博物館、ぜひ日本にも欲しい。もちろん学芸員を置いて。

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三浦半島の運慶仏巡り:浄楽寺、満願寺

2024-03-03 22:18:49 | 行ったもの(美術館・見仏)

 数週間前に3月のカレンダーを見て、3月3日が日曜に当たっていることに気づいた。関東在住の仏像ファンにとって、3月3日といえば、三浦半島・芦名にある浄楽寺のご開帳日である。私は20年くらい前に逗子に住んでいたこともあり、浄楽寺の収蔵庫改修のクラウドファンディングに寄付したご縁もあるので、久しぶりに行ってみたくなった。逗子駅から浄楽寺までは京急バスに乗る。時刻表では20~30分だったが、混雑の影響で倍くらいの時間がかかった。

金剛山勝長寿院大御堂 浄楽寺(横須賀市芦名)

 揃いの法被(抱き茗荷紋?)のおじさんたちが参拝客の車を誘導していたが「こっちは満杯です」「この先の駐車場なら、1、2台入れるかも」と大変そうだった。門前には露店やキッチンカーが並び、魚や野菜の市も出て大賑わい。まずは本堂に参拝する。江戸時代の小ぶりな阿弥陀三尊像が安置されており、背後の壁の裏側に描かれた伝・戸川雪貢筆『釈迦三尊図』も間近に見ることができた。2022年夏の横須賀美術館『運慶 鎌倉幕府と三浦一族』にも出陳されていたことを思い出した。

 本堂右手の坂を上がって本堂の裏にまわると、運慶仏像5体(阿弥陀三尊、毘沙門天、不動明王)を収めた収蔵庫が立っている。2018年のクラウドファンディングで建設されたものである。

 文化庁からの指導ということで、拝観者は氏名等を記帳し、15~20人ずつ区切って入庫を許された。扉を閉め、しばらくすると「では、灯りを消します」との案内。照明が全て消され(お燈明?だけがわずかに残る)真っ暗闇になる。はじめは本当に何も見えないが、次第に暗闇の中に阿弥陀如来の姿がぼんやり浮かび上がってくるような気がする(気がするだけかもしれない)。なかなか貴重な体験だった。

 ご開帳限定バージョンの「阿弥陀三尊」のご朱印をいただき、特製「運慶饅頭」をお土産に買った。収蔵庫拝観・限定御朱印・運慶饅頭がそれぞれ300円、六佛焼香巡り(参拝用の焼香をいただける)も300円と、全体に庶民的な運営でありがたかった。

満願寺(横須賀市岩戸)

 今年はもう1ヶ所、行ってみたいお寺があった。2022年の横須賀美術館および金沢文庫の『運慶 鎌倉幕府と三浦一族』で久しぶりに拝見して、惚れ惚れした運慶仏を有する満願寺さんである。浄楽寺には2018年にも来ているのだが、満願寺は、たぶん30年近く前に一度訪ねたきりではないかと思う。Googleマップのおすすめ経路に従って、バスを乗り継ぎ、「岩戸町内会館」というバス停で下車した。さらにGoogleマップに従い、眩暈のするような高低差の石段を下りる。満願寺は、この隠れ里みたいな低地にあるのだ。

 満願寺に到着。お墓参りらしい人影がわずかにあったが、ひっそりしている。本堂の正面のガラス障子も閉ざされた状態。向かって右奥に収蔵庫があるのだが、これは、もしかして拝観させてもらえないかも…とドキドキしながら、近づいてみる。

 収蔵庫の扉には「拝観は予約制です」という貼り紙がしてあった。残念! しかし、金属製の重たい扉が半分開いているではないか。よく見ると、貼り紙の横に小さなポストイットが貼ってあって「本日拝観ご予約の方 只今外出していますが どうぞお参り下さい お帰りに消灯、外扉を閉めて下さると助ります。」と読みやすい字で書かれていた。

 おそるおそる内側のガラス障子に手をかけると、するすると開いた。どこのどなたか知らないが、この日の拝観を予約してくださった方のおかげで、私も拝観させていただくことができてしまった。収蔵庫内には、観音菩薩・地蔵菩薩・不動明王・毘沙門天の4体が並ぶ。この4体は確実に運慶作とは言い難いが、工房の関与が考えられているもの。私は特に、猛々しい面構えの観音菩薩立像が大好きなのだ。今日の久しぶりの対面は、推しの観音さまに招き入れられたようで嬉しかった。この収蔵庫は、昨年2023年、50年ぶりの改修工事が行われたそうである。地元の株式会社大神さん、ありがとうございます。拝観料とお布施は、賽銭箱に投入して立ち去ることにした。

 なお、バスで満願寺へ向かう途中、三浦大介義明を開基する満昌寺の前を通った。今回は浄楽寺と満願寺だけの予定だったけれど、次に機会があったら、もう少し行先を増やして計画を立ててみたい。

 浄楽寺で買った「運慶饅頭」は明日のおやつのお楽しみ。

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2024年3月食べたもの@広島

2024-03-02 19:47:36 | 食べたもの(銘菓・名産)

今週は2泊3日で広島へ出張。ランチタイムに、昨年寄ったお好み焼・鉄板焼のお店を覗いたら、残念ながら満席で入れなかった。しかし、近くにあった、もう1軒のお店「ひなた」に入れたので、肉玉そばを注文。満足! 21周年を迎えた歴史のあるお店とのこと。

夜は、1泊目はひとりだったので簡単にカキフライ定食。

翌日は同行の同僚と「和久バル」で牡蠣ざんまい。最初の土手鍋のあとは、グラタン、リゾット、(また)カキフライなど、写真を撮るのを忘れてしまったが、どれも美味しかった。

牡蠣の土手鍋は広島の郷土料理。東京では、ほとんど食べた記憶がなかったが、気に入ってしまった。今度、家でつくってみよう!

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