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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

今やろう!防災アクション/東京防災(東京都)

2016-12-05 22:54:10 | 読んだもの(書籍)
〇東京都総務局総合防災部防災管理課編『東京防災』 東京都 2015.9

 『東京防災』は、東京都が「30年以内に70%の確率で発生すると予測されている首都直下地震」に向けて、災害に対する日頃の準備や発災時の対処法をまとめた冊子本である。2015年9月に東京都防災局の特設サイトにPDF版が公開されると、広く全般的に好意的な反響を呼んだ。しかも各家庭に無料配布されると聞いて、都民がうらやましかった。私は、今でも舛添都政はそんなに悪くなかったと思っているが、その中でも、この防災冊子の刊行と配布は、特筆してよい成果だと思う。

 さて、本書は11月から都内各書店で販売が開始されたが、品不足ですぐ中止になり、今年3月、ようやく販売が再開されたのだそうだ。私は、この秋、つくば市内の書店で平積みになっていた本書を見つけて、すぐ購入した。レジに行ってはじめて、本体130円という超良心価格であることに気づいた。これはぜひ、各家庭に1冊ではなく、小中学校でひとりに1冊配付してもらいたい。東京都民に限らなくてもいいのではないか。ネットで見たときは、もっと大判かと思っていたが、A5サイズで持ち運びの邪魔にならず、またゴミに埋もれない程度の存在感がある。300ページ余りあるが、紙質がよくて(水濡れにも強そう)軽い。内容は、どのページも無駄がない。絵も文章も達意を旨としている。

 読んでいると、長ズボンでつくるリュックサックとか、アルミ缶とアルミホイルなどでつくる簡易コンロなどの緊急時の工夫を、しみじみ面白いと思ってしまったが、本当に大事なのは「今やろう」マークのアクションである。家具の転倒・落下防止対策、避難経路の確保、それに備蓄である。私はモノを貯め込むのが嫌いなので、食料でも何でも買い置きしないことを美学としているのだが、少し生活態度を改めないといけない。被災後の生活再建支援制度と手続きがまとまっているのも役に立ちそうだ。

 あと、周辺の地形や避難経路を知っておくことの重要性はよく分かっているのだが、いまの住居のまわりは、歩いても楽しいことがないので、あまり探検していない。この地で災害に遭遇しないことを願うのみだ。
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康熙帝の宰相/紫禁城の月(王躍文)

2016-12-03 15:10:20 | 読んだもの(書籍)
〇王躍文著;東紫苑、泉京鹿訳『紫禁城の月:大清相国 清の宰相 陳廷敬』(上下) メディア総合研究所 2016.9

 原作は2013年に中国で出版された歴史小説。中国の現代作家の作品(それも歴史小説)を読んだことがあまりないので、珍しいと思い、読んでみた。主人公は、清の康熙帝時代の大政治家・陳廷敬(1638-1712)。清朝は、臣下のトップに権力が集中することを嫌って宰相を置かなかったが、名君・康熙帝に仕えた陳廷敬は、事実上の宰相(相国)とよばれた。汚職と権力闘争のはびこる朝廷で、多くの同僚が官界の荒波に沈む中、彼は「待つ(等)」「耐える(忍)」「穏健に行動する(穏)」だけでなく「無情に決断する(狠)」「控えめに立ち振る舞う(陰)」という五字の行動原理を堅持することによって、74年の生涯をまっとうした。

 というわけで、歴史小説といっても、胸おどる天下分け目の合戦もないし、英雄豪傑も出てこない。何が面白いのか、と思うが、中国人はこういう「官場小説」が大好きなのだそうだ。「官場小説」というのは現代小説だけかと思っていたが、時代物にもいうと初めて知った。確かに、私が時々見る中国のドラマでも、時代設定にかかわらず、官界ならではの「腹の探り合い」とか「丁々発止の弁論」が、アクション以上の見どころだったりする。

 物語は清の順治14年(1657)秋に始まる。山西省沢州の豪商の息子・陳敬は、科挙の第一関門である郷試に合格し、挙人となるが、不正を憎むまっすぐな気性のため、さまざまなトラブルに巻き込まれる。翌春、京師での会試に合格して進士となり、順治帝から「廷」の字を賜って、名乗りを改める。まもなく順治帝の急死によって、幼い康熙帝が即位。陳廷敬は、次第に「待つこと」「耐えること」を身につけて官界を渡っていく。

 その後の陳廷敬の活躍は、舞台を変えたいくつかの「小さな物語」によって描かれる。
【山東】 今年は豊作のため、収穫の一部を朝廷に寄付したいと民が申し出ているという奏上があったので、確かめに行くと、悪徳官僚と商人の作り話に順撫が騙されていたことが分かる。
【山西】 陽曲県から皇帝の徳を称える龍亭建立の願い出があったこと、「大戸統籌」といって、地域の有力者に責任を負わせる収税法が成功しているとの奏上を確かめに行き、その虚偽を見破る。しかし、雲南での戦費の調達に悩む康熙帝は「大戸統籌」法を全国で行わせようとする。
【京師】 銅価の高騰によって、民間の市場から銅銭が消えてしまった。宝泉局の銭法侍郎となった陳廷敬は、長年の腐敗をあばき、貨幣相場を安定させる。
【雲南】 ガルダン(ジュンガル部のハーン)討伐の準備を進めていた朝廷に、雲南から軍糧の調達を整えた旨の奏上が届く。陳廷敬が調べてみると、雲南衙門の帳簿管理は杜撰で、最後は民に負担を押し付けるつもりだったことが分かる。
【杭州】 康熙帝の南巡に先立ち、無用な歓迎準備が行われないよう、密かに派遣された陳廷敬は、杭州で不穏な動きを発見する。

 この中では、銅銭の鋳造をめぐる物語が異彩を放っていて面白かった。後半にいくほど、不正にかかわる官僚のステイタスが上がっていき、陳廷敬も慎重になる。康熙帝は暗君ではないが、自分が信任した官僚がことごとく不正を働いていたという報告は好まない。粛清の結果、行政を任せられる官僚がいなくなっては困るのである。民に対する朝廷の「対面」もある。トップリーダー(皇帝)は「正義の断行」だけを心掛けていればいいわけではなく、その補佐役(宰相)は、リーダーの心中を推し量りながら、腐敗官僚の弾劾を行わなければならない。多くの中国人は、小説やドラマを通じて、こういう政治の機微をよく分かっているんだろうなあ。廷臣らの長年の権力闘争が、ついに康熙帝の面前で一気に噴出する杭州の場面は、なかなかの衝撃力である。舞台劇かドラマで見たら面白いだろうと思う。

 一方、日本人の私からすると、せっかく中国各地を舞台にするのだから、その土地の風俗がもう少し書き込まれてもいいのに、と思うのだが、そのへんの描写は少ない。こういう「官場小説」の読者は地理や風俗に興味がないんだろうか。また、登場人物の内面描写も少ない。陳廷敬の手足あるいは耳目となって働く従者の馬明と劉景、山東の事件で陳廷敬に救われ、そのまま押しかけて第三夫人になる珍児など、彼らのキャラクターがもう少し描き込まれていると、小説の面白さが倍増すると思うので、残念である。

 杭州の事件の後、陳廷敬は高齢と病気を理由に引退を願い出て許可され、故郷に戻る。明清の歴史を読んでいると、「位人臣を極めた」官僚はそれなりにいても、その上で「生涯をまっとうする」ことの難しさがよく分かるので、この幕引きにはほっとする(まえがきでネタバレしないほうがいいのに)。

 なお、私は陳廷敬という名前に覚えはあったが、あまり明確なイメージは持っていなかった。いろいろ調べていて、山西省晋城市に陳廷敬の旧居であった「皇城相府」が残っているという記事を見つけた。山西省には複数回行っているので、訪ねていると思うのだが、記憶が定かでない。山西省は、ほかにも好きな観光地がたくさんあるので、久しぶりにまた行きたくなった。
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NHKの冒険/『獄門島』と『シリーズ横溝正史短編集』

2016-12-01 22:10:20 | 見たもの(Webサイト・TV)
○NHK BSプレミアム 『獄門島』(2016年11月19日放送)、『シリーズ横溝正史短編集 金田一耕助登場!』(11月24日~26日放送)

 NHKが横溝正史づいている。と言ってもBS放送の話なので、自宅に視聴環境のない私には関係ないか、と思っていたら、11月19日はちょうど旅先のホテルで『獄門島』を見ることができた。終戦直後の瀬戸内海の孤島で、俳句に見立てられた奇妙な連続殺人が起き、復員したばかりの金田一耕助が謎解きに奔走する。…という説明が必要ないくらい、日本の推理小説の古典中の古典といえよう。犯人もトリックも分かっていても、映像化の出来栄えを確かめたくなる、今なお新鮮な魅力に満ちた作品である。

 金田一耕助を演じたのは、個性派俳優の長谷川博己。ちょっとイケメンすぎないか?と思ったが、それなりに「汚し」て「やつし」ていた。そして、このドラマの金田一耕助は「戦争でトラウマを抱え、心に空いた穴を埋めるため、取り憑かれたように事件を解明しようとする」人物と設定されており、精神的に不安定で、ときどき感情が爆発して、相手かまわず攻撃的になるあたりの演技が、さすが巧い。原作の設定をギリギリ逸脱せず、しかし解釈で魅力ある金田一耕助像を作り出した脚本(喜安浩平)と演出(吉田照幸)、そして長谷川博己の力量に唸った。

 見立て殺人はどれも映像的に美しくて満足できた。最初の殺人で了念和尚がつぶやく「きちがいじゃが仕方がない」を原作どおり言わせたことは、すぐにSNSで話題になった。私もそこは感心したのだが、なぜ「きちがいだから」でなく「きちがいじゃが」仕方ないなのか、と訝るシーンはあったかしら。それから、つぶやきを聞きとがめられた和尚が顔を覆うのを、金田一は図星を刺されて狼狽したと受け取るのだが、あとになって、金田一の見当違いを笑っていたのだと気づく、というのが原作の謎解きシーンにあったはずなのに、ドラマにはなかった。これは了念和尚の性格を表すエピソードでもあって好きだったのに。

 翌週末には三夜連続で『シリーズ横溝正史短編集 金田一耕助登場!』が放映された。私は第2回「殺人鬼」(演出:佐藤佐吉)を旅先で見て、第1回「黒蘭姫」(演出:宇野丈良)と第3回「百日紅の下にて」(演出:渋江修平)はNHKオンデマンドで視聴した。これはすごかった。ドラマは各回30分、原作の文章をそのまま朗読するかたちで進行する。紙芝居を見ているような感覚だ。映像も舞台のように実験的で象徴的だった。「百日紅の下にて」では、淫靡な男女関係が、二枚の布団のからみあいで表現されていて笑ってしまった。なぜか金田一耕助はクマ(?)のぬいぐるみを背負っているが、理由は聞かない。もう「こういう映像が撮りたかった」でいいんじゃないかと思う。雪舟の絵みたいに。

 金田一耕助役の池松壮亮は、ふわふわした空気を身にまとい、癒し系でかわいい。でもむちゃくちゃ汚い。ドラマに登場するのは、ミュージシャン、芸人、作家、モデルなどで、本職の俳優さんがほとんどいないのもこのドラマの「異世界」ぶりを際立たせている。その中で、普通に「異世界」の住人を演じている嶋田久作は相変わらずの怪優である。

 長谷川博己の『獄門島』は、いかにも次回作の期待をもたせた終わり方だったけど、私はどちらかというと池松壮亮の続編が希望だ。1年後くらいに3話くらい新作を作ってくれたらNHKに大感謝である。こういうドラマを見ると、テレビは決して「終わったコンテンツ」ではないと思う。
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