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見もの・読みもの日記

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父の絵画、子の絵画/文人として生きる(千葉市美術館)

2016-12-10 22:47:59 | 行ったもの(美術館・見仏)
千葉市美術館 『文人として生きる-浦上玉堂と春琴・秋琴 父子の芸術』(2016年11月10日~12月18日)

 日本文人画壇の巨星・浦上玉堂(1745-1820)と長男春琴(1779-1846)、次男秋琴(1785-1871)の足跡をたどり、新出、初公開を含め、珠玉の作品群270点で構成する、かつてない規模の展覧会。「2006年の浦上玉堂展から10年が経過し」とあり、調べたら、2006年11月3日~12月3日に特別展『浦上玉堂』が開かれている(同館のホームページは、過去の展覧会アーカイブが分かりやすくて大変うれしい)。しかし、私は10年前の展覧会は見ていない。江戸絵画といえば、教科書にも載っている浮世絵からまず入り、次に若冲・又兵衛など「奇想」の画家に興味を持ったけど、「文人画」と言われるジャンルに近づいたのは、いちばん最後のことだった。

 玉堂といえば、黒い塊がムクムクするような山水画だよなと思って会場に入ったら、冒頭に繊細優美な彩色の花鳥画の大幅があって、え?とびっくりしたら、長男春琴の作品だった。春琴の描いた、琴を弾く玉堂の肖像を挟んで、左に次男秋琴筆の山水図。ずいぶん新しい感じがすると思ったら明治3年(1870)の作。少し時代感覚を補正する。

 玉堂は「琴士」というアイデンティティにこだわった人だそうで、遺愛の(しかも自作の)七弦琴が複数伝わっている。琴、琴を収める嚢(ふくろ)、印章、所持の短刀など、いろいろなものが出てくるが、なかなか絵画の展示が始まらないのが、じらされているみたいで可笑しい。

 玉堂が本格的に画業に打ち込み始めたのは40歳の頃からで、50歳で二子を連れて脱藩し、諸国遍歴しながら心の赴くまま筆を揮う。江戸時代って、こういう生き方が許容されていたのが面白い時代だと思う。私は、塗りつぶしの多い黒っぽい画面が玉堂らしいと思うのだが、実は変幻自在で、線の明らかな白っぽい山水画も描いていて、明清の新しい中国絵画との類似性を強く感じさせた。まあ黒っぽいほうも、たとえば龔賢なんかに似ているかもしれない。玉堂は小品も描いたし、大作も描いた。会場の途中に、畳一枚くらいの大作を並べたコーナーがあったが、奇々怪々で、爆発するような情念に圧倒された。

 階が変わって、長男春琴のセクションになると、穏やかで平明な作風に少しほっとする。そして、このひとは熱心に中国絵画を勉強していたことがよく分かった。やっぱり藍瑛なんだな~。今年の東大東文研の公開講座で聞いた塚本麿充先生の話を思い出す。また、春琴の交友関係の中に医師・小石元俊の医学塾「究理堂」という名前が出てきて、なんとなく記憶にひっかかった。調べたら、2003年の京博の特別展覧会『魅惑の清朝陶磁』で聞いた名前だった。ミネアポリス美術館(バークコレクション)の春琴筆『春秋山水図屏風』は、今後、なかなか見る機会がないであろう貴重なもの。きっちり中国絵画を学んだ成果が出ているのに、「屏風」という日本的な様式で表現されているのが面白かった。

 最後の1室はコレクション展で『父子の芸術ものがたり-所蔵江戸時代の美術より』(2016年11月10日~12月18日)と題して、葛飾北斎と応為、岡田米山人と半江、渡辺崋山と小華などを扱っていた。コレクション展も楽しませるセンスはさすがである。
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