○チャールズ・ディケンズ、中村能三訳『オリバー・ツイスト』上下(新潮文庫) 新潮社 1955.5
めずらしく洋モノの小説が読みたくなった。何を読んでいいか見当がつかないので、長い時間、文庫本のコーナーをうろうろしていたら、本書が目についた。そうだ、ちょうど去年(2006年)の今頃、日本で映画が公開されていたのだが、行こう行こうと思って見逃してしまった。映画の公式サイトはまだ残っているが、この「About the Film」→「Introduction」の写真(19世紀ロンドンの街並み)が、新潮文庫のカバーにも使われている。煤に汚れた赤レンガ。黒光りする石畳。歩道を埋めた陰気な人々の列。無性に心ひかれるものがあって、読み始めた。
名もない孤児のオリバー・ツイストは、救貧院で生まれ、養育院で育てられた。9歳のとき、葬儀屋に引き取られるが、生きるために逃げ出して、ロンドンに向かう。ユダヤ人フェイギンは、オリバーを少年窃盗団に加えようとするが、要領を飲み込めないオリバーは、初仕事の日に警察に捕まってしまう。窃盗の被害に遭った老紳士ブラウンロー氏は、オリバーに非のないことを知ると、彼を自分の家に置くことにした。
しかし、フェイギンは、配下のナンシーを使ってオリバーを連れ戻す。ある晩、オリバーは押し込み強盗の手伝いを命じられ、銃で撃たれて置き去りにされる。その家の女主人メイリー夫人とローズは、オリバーの身の上話を聞いていたく同情する。ブラウンロー氏との再会。しかし、オリバーを悪の道に誘い込もうと執拗につけねらうフェイギン。オリバーを救おうとしたナンシーは、情人のサイクスに疑われ、殺されてしまう。そして、次第にオリバーの高貴な出生の秘密が明らかになる。
いやー面白かった。私は、こういう「お話」が大好きなのだ。登場人物は類型でいいの(魅力的なら)。めんどくさい内面描写はなくていいの。とは言え、決して悪に染まらないオリバーの気高さは、ちょっと「ありえない」。一方で、いじめっ子や窃盗団の小ずるい少年たちも書いているのだから、当時、もっとリアリスティックな子どもの見かたもあったのだろうけど。まあ、オリバーは主人公と言うより、一種の狂言回しなんだろう。
いちばんリアルな魅力を感じたのは、恋人の存在ゆえに、悪の世界を離れられないと観念しながら、真人間に戻りたいという希望に、心の揺れ動くナンシー(なんというか、演劇的、オペラ的なキャラクターである)。一時の感情の爆発から、そのナンシーを殺してしまう、ちんぴらのサイクスも、あえて内面に踏み込まず、表面上の行動描写で筆を留めているところに、かえって鬼気迫るものがある。
本書が書かれたのが1838年(天保9年)。明治の小説家たちは、こういうものを読んで、たぶんその面白さに素直に興奮し、文学を志したんだなあ、と思う。
それにしても、本書の日本語は、簡素で品があって、非常に気持ちよかった。変化の早い日本語文化にあって、昭和30年代の翻訳というのが、私の嗜好に(子どもの頃に食べた家庭料理の味みたいに)合うのか。それとも、19世紀イギリスの散文というのが、合うのだろうか。
めずらしく洋モノの小説が読みたくなった。何を読んでいいか見当がつかないので、長い時間、文庫本のコーナーをうろうろしていたら、本書が目についた。そうだ、ちょうど去年(2006年)の今頃、日本で映画が公開されていたのだが、行こう行こうと思って見逃してしまった。映画の公式サイトはまだ残っているが、この「About the Film」→「Introduction」の写真(19世紀ロンドンの街並み)が、新潮文庫のカバーにも使われている。煤に汚れた赤レンガ。黒光りする石畳。歩道を埋めた陰気な人々の列。無性に心ひかれるものがあって、読み始めた。
名もない孤児のオリバー・ツイストは、救貧院で生まれ、養育院で育てられた。9歳のとき、葬儀屋に引き取られるが、生きるために逃げ出して、ロンドンに向かう。ユダヤ人フェイギンは、オリバーを少年窃盗団に加えようとするが、要領を飲み込めないオリバーは、初仕事の日に警察に捕まってしまう。窃盗の被害に遭った老紳士ブラウンロー氏は、オリバーに非のないことを知ると、彼を自分の家に置くことにした。
しかし、フェイギンは、配下のナンシーを使ってオリバーを連れ戻す。ある晩、オリバーは押し込み強盗の手伝いを命じられ、銃で撃たれて置き去りにされる。その家の女主人メイリー夫人とローズは、オリバーの身の上話を聞いていたく同情する。ブラウンロー氏との再会。しかし、オリバーを悪の道に誘い込もうと執拗につけねらうフェイギン。オリバーを救おうとしたナンシーは、情人のサイクスに疑われ、殺されてしまう。そして、次第にオリバーの高貴な出生の秘密が明らかになる。
いやー面白かった。私は、こういう「お話」が大好きなのだ。登場人物は類型でいいの(魅力的なら)。めんどくさい内面描写はなくていいの。とは言え、決して悪に染まらないオリバーの気高さは、ちょっと「ありえない」。一方で、いじめっ子や窃盗団の小ずるい少年たちも書いているのだから、当時、もっとリアリスティックな子どもの見かたもあったのだろうけど。まあ、オリバーは主人公と言うより、一種の狂言回しなんだろう。
いちばんリアルな魅力を感じたのは、恋人の存在ゆえに、悪の世界を離れられないと観念しながら、真人間に戻りたいという希望に、心の揺れ動くナンシー(なんというか、演劇的、オペラ的なキャラクターである)。一時の感情の爆発から、そのナンシーを殺してしまう、ちんぴらのサイクスも、あえて内面に踏み込まず、表面上の行動描写で筆を留めているところに、かえって鬼気迫るものがある。
本書が書かれたのが1838年(天保9年)。明治の小説家たちは、こういうものを読んで、たぶんその面白さに素直に興奮し、文学を志したんだなあ、と思う。
それにしても、本書の日本語は、簡素で品があって、非常に気持ちよかった。変化の早い日本語文化にあって、昭和30年代の翻訳というのが、私の嗜好に(子どもの頃に食べた家庭料理の味みたいに)合うのか。それとも、19世紀イギリスの散文というのが、合うのだろうか。