見もの・読みもの日記

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成熟対談/戦争と日本人(加藤陽子、佐高信)

2011-04-22 01:11:37 | 読んだもの(書籍)
○加藤陽子、佐高信『戦争と日本人:テロリズムの子どもたちへ』(角川oneテーマ21) 角川書店 2011.2

 冒頭に加藤陽子さんが「副題の意味するものは」という解説を書いている。西郷隆盛を推戴して西南の役を起こした少壮士族たちを、勝海舟は和歌の中で「子供ら」と詠んだ。原敬を暗殺した19歳の少年を大杉栄は「子供」と名指した。日本の近現代史を振り返ってみると、未熟な「子ども」が早まって事を起こし、その結果、「大人」の死体が累々と横たわっているような風景があまりにも多い――と加藤さんは言う。ああ、こんな歴史の見方もあるんだ、と、虚を突かれるような指摘だった。

 日本人は、なぜか「若者」が好きだ。幕末維新の英傑は20~30代の若者だった、という話はよく聞く。彼らはともかく、義憤や短慮から、暗殺・テロ・クーデターを引き起こしてしまう未熟な知性を、加藤さんは冷たく「子ども」と言い放つ。

 テロリストだけではない。「クリーン」至上主義の市川房枝は、石原莞爾を絶賛しているという。その市川房枝の下で育ってきたのが菅直人。「右」と「左」とを問わず、時代を超えて繰り返される「道徳おっ被り」「浮かれ正義」「正当性ばかりを声高に主張する」ことの危うさを、二人の著者は厳しく見つめる。特に、国家との向き合い方においては、国家をゆるぎないものと思わないことが重要だという。

 数々の近代史資料を読みこんでいるお二人の対談なので、思わずページに印を付けたくなるようなこぼれ話には事欠かない。昭和天皇が、庭の雑草を人々が踏まないように竹串でマーキングしていたとか(雑草に感情移入する孤独感)。木下尚江は、憲法発布前(明治10年代)の自由闊達な空気を忘れたところに日本の近代はない、と書いているとか(司馬史観みたいだ)。大正・昭和の教育を受けた秀才はマルクス主義に行ってしまったが、明治10~20年代の教養をもった世代はアナーキストだった。南原繁もそのひとり。彼ら、まともな知識人は、太平洋戦争が始まった瞬間に「絶対に負ける」と直感した(と佐高さんは書いているけど、これはどうかなー)。

 あと、加藤さんの大胆な未来予測。50年後の国際社会ではインドと中国とロシアの3つの陸の帝国が力を持ち、日本とアメリカがバランサーとなっているのではないか、という。当たるか否かを見届けるのは、私にはちょっと難しそうだが…。

 対談の終わり、「感情教育がきちんとなされていれば、くだらないことで勧誘を受けても、軽々となびいていかない」(加藤)「すぐにわからなくていいから、自分の頭でじっくり考える」(佐高)というやりとりは、いまの社会、とりわけ教育の問題点をよく捉えていると思った。特に「すぐにわからなくていいから」という留保に同感する。最近の原発事故報道を見ていても、みんな、よく分かる(すぐ分かる)説明を他人に求めすぎじゃないか、と感じるのだ。すぐ分かる説明なんて、あやしいに決まっている。真実は、時間をかけて努力しなければ手に入る筈はない、ということを、もう一度、自分に言い聞かせたい。それが年齢を重ねた大人の覚悟というものである。

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