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見もの・読みもの日記

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凡庸な人生/胡同のひまわり

2006-07-28 00:51:41 | 見たもの(Webサイト・TV)
○張楊監督 映画『胡同(フートン)のひまわり』

http://www.himawari-movie.com/

 久しぶりに満足できる中国映画を見た。文化大革命(1966~1977)末期から1999年まで、激しく変貌する北京の町を背景に、30余年にわたる父と子の葛藤を描く。張楊(チャン・ヤン)監督の自伝的な作品だともいう。

 こういう、大文字の「歴史」の激動と、それに翻弄される個人を描かせたら、中国映画は巧い。『芙蓉鎮』(1987年)とか『青い凧』(1993年)とか、チャン・イーモウの『活きる』(1994年)とか。私が、ふーん、映画って面白いんだなあ、と思うようになったのは、こうした作品のおかげである。逆に、中国の近代史に興味を持つようになったのも、もとを正せば、これらの映画がきっかけだった。

 しかし、最近の中国映画は、遠い古代や荒唐無稽なファンタジーに舞台を定めたり、プライベートな人間関係に的をしぼって描くものが増えてきた。それはそれで名作もあるのだが、私はやっぱり、本作のように「歴史/個人」を両天秤に乗せた作品が好きだ。それに、中国の社会は、相変わらず、世界のどの地域よりも激しい変貌を続けている。意欲ある創作者にとって、題材には事欠かないと思う。

 本作の魅力のひとつは、1970~80年代の胡同(フートン)の風景だろう。手足の細い子供たちが、馬飛びや石蹴りなど、お金のかからない、単純な遊びに興じている。男たちは黒ズボンにランニング姿で肉体労働に精を出し、女たちは家事に余念がない。私が初めて北京の町を歩いたのは1981年の早春のことだった。そこには、まだ幾分か映画のような世界が残っていた。今日でも北京の町を歩けば、胡同に迷い込むことができるが、そこに住む人々の生活は、すっかり変わってしまっている。本作は、北京の鼓楼・鐘楼の辺りを舞台に設定しているが、撮影の大半はスタジオ内のセットで行われたそうである。

 配役で、とりわけ印象的なのは、主人公・向陽(シャンヤン)の父親役を演じた孫海英(スン・ハイイン)。いや、息子が狂言回しであって、彼こそがこの映画の真の主人公であると言ってもいい。文化大革命時代の強制労働で、指を痛め、画家として生きることを断念し、息子に夢を託す。息子は、父に反発しながらも才能を開花させる。

 シャンヤンの作品展の場面では、映画用の小道具ではなくて、実在の画家・張暁剛(ジャン・シャオガン)(いま、注目の中国人アーティストだそうだ)の作品が展示されている。これが、映画に厚みを与えていて素晴らしい。息子の成長だけを気にかけて、己れは何事を成すこともなく生きてきた初老の父親が、息子の作品――魔術的な芸術性を放つ、ジャン・シャオガンの作品――を呆然と(陶然と?)眺めるカットに私は打たれた。

 そして、シャンヤンの父親が、家族の前から姿を消すにあたり、遺していったメッセージが流れる場面では、街頭のさまざまな「父親」世代の姿が映し出された。朝の公園をゆっくりした歩調で散歩する者。同世代の友人と将棋に興じる者。ベンチに腰を下ろし、老眼鏡で新聞を読む者。凡庸な人生の凡庸な終わりを迎えようとしている彼らを、カメラは、讃え、かつ慰撫するようになめていく。

 さて、上記の公式サイトで、父親役のスン・ハイインの紹介記事を読んだら、テレビドラマ『射雕英雄伝』に出演、とある。なに!?と思って、よくよく写真を見て、あっと思い当たった。洪七公じゃないか~。そういえば『射雕』でも、主人公・郭康の父親代わりみたいな役回りだったなあ。

■向日葵:専題頁(新浪網)―中国語
http://ent.sina.com.cn/m/c/f/xrk/index.html

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