○マルクス・シドニウス・ファルクス著;ジェリー・トナー解説;橘明美訳『奴隷のしつけ方』 太田出版 2015.6
何世代も前から多くの奴隷を所有してきた古代ローマ貴族のひとりマルクス・シドニウス・ファルクスが、北方の不毛な属州で教師をしている(=英国ケンブリッジ大学の古典学研究者)ジェリー・トナーの協力を得て、奴隷の扱い方について、未開の民にも分かるように書いた著書。という体裁になっている。
マルクスは古代ローマ人であるから、社会に奴隷が存在するのは当たり前のことだと思っている。「現代でいえば車を持ったり猫を飼ったりすることと大差ありませんでした」とトナー博士は解説している。奴隷には田舎の農場で働かせる場合と、家内の雑用を任せる場合があった。洗濯、掃除、買い物、給仕、少し学があれば、子どもの家庭教師や主人の手紙の朗読・代筆、帳簿の管理も行った。美少年を侍らすこともあった(エジプト人がよかったらしい)。ステータスを誇るのため、必要以上に多くの奴隷を所有する場合もあって、客人の名前を呼ぶ仕事だけに従事する奴隷もいたそうだ。
主人を守ることも奴隷の役割だった。主人の身に危険が及んだときは、身を挺して主人を助けなければならない。戦乱や、賊に襲われて主人が命を落としたのに、後に生き残った奴隷は、法によって処刑されることになっている。そうは言っても、奴隷の「忠誠心」を得るためには、主人にも心構えが要る。つねに威儀を失わず、公正に振舞い、いい振る舞いにはきちんと報いること。罰することは必要だが、残忍になってはいけない。「主人とは、学んでなるものだ」「主人であることは一つの技能だ」とマルクスは言う。古代ローマでは、家長の管理下にある自由人と奴隷の全体を「ファミリア」と呼んだ。
このへんを読んでいると、古代ローマの「奴隷」というのが、その言葉の(日本的な?)イメージほどには「市民」と隔絶していなかったように思えてきた。現代の経営者と労働者(被雇用者)の関係にも似ているのではないか。まあ日本の経営者と労働者の標準的な関係が、あまりにも近代化されていないから、こう感じてしまうのだけど。
だが、古代ローマ人が奴隷を本質的に劣った存在と見ていたことや、気まぐれで奴隷に与えていた体罰(目をつぶしたり、手足を折ったり)や、嫌疑をかけられたときの拷問の記述を読むと、さすがにこれは古代の習慣だと思い直した。一方で、近世以前の地主と小作人の関係とか、貴族と家人あるいは武士の関係はこんなものかもしれない、と思ったりもした。
それから、奴隷は生得的に市民と異なるとされながら、「解放奴隷」という制度があったことも、忘れがちな視点。ローマは多くの奴隷を解放し、市民社会に取り込んでいった。中には、大きな権力と莫大な富を手に入れたり、学者や作家として業績を残した解放奴隷もいる。解放奴隷が野心に取りつかれるのはよくあること、という記述を読んで、ちょっと中国の宦官制度を思い出した。
古代ローマをよく知らない私にとって、非常に面白かったは「奴隷の楽しみ」の章に見られるサトゥルナリア祭の記述。12月17日に始まり、何日間も続く熱狂的などんちゃん騒ぎ。祭りの間は階級がなくなり、価値観が逆転し、ふだんはいい行いとされるものがそうでなくなり、下品で、冒涜的な振る舞いが良しとされる。奴隷たちは籤引きで王を選び、選ばれた者は王冠をかぶり、次々におかしな命令を出す。祭りの最後の儀式で王が殺される(象徴的に)と全てが終わる。これは、文化人類学や民族学でしばしば言及される「冬至の祭り」のこと。「王殺し」というモチーフは、80年代に少し流行った。丸谷才一さんの『忠臣藏とは何か』とか、萩尾望都の『偽王』がなつかしい。
この「価値観の逆転」や「王殺し」は、哲学的に深遠な意味をもたせて語られることが多いと思っていたが(私の読んできた本がそうだった)、著者がわりと平明に「祭りをきっかけに、緊張がほぐれることで反目や内輪もめが解決する」「ルールのない社会の混沌を体験することで、序列や規範の大切さを再認識する」等、その効能を解説しているのが興味深かった。こういう楽しい本を書いてくれる学者先生は大好きである。
何世代も前から多くの奴隷を所有してきた古代ローマ貴族のひとりマルクス・シドニウス・ファルクスが、北方の不毛な属州で教師をしている(=英国ケンブリッジ大学の古典学研究者)ジェリー・トナーの協力を得て、奴隷の扱い方について、未開の民にも分かるように書いた著書。という体裁になっている。
マルクスは古代ローマ人であるから、社会に奴隷が存在するのは当たり前のことだと思っている。「現代でいえば車を持ったり猫を飼ったりすることと大差ありませんでした」とトナー博士は解説している。奴隷には田舎の農場で働かせる場合と、家内の雑用を任せる場合があった。洗濯、掃除、買い物、給仕、少し学があれば、子どもの家庭教師や主人の手紙の朗読・代筆、帳簿の管理も行った。美少年を侍らすこともあった(エジプト人がよかったらしい)。ステータスを誇るのため、必要以上に多くの奴隷を所有する場合もあって、客人の名前を呼ぶ仕事だけに従事する奴隷もいたそうだ。
主人を守ることも奴隷の役割だった。主人の身に危険が及んだときは、身を挺して主人を助けなければならない。戦乱や、賊に襲われて主人が命を落としたのに、後に生き残った奴隷は、法によって処刑されることになっている。そうは言っても、奴隷の「忠誠心」を得るためには、主人にも心構えが要る。つねに威儀を失わず、公正に振舞い、いい振る舞いにはきちんと報いること。罰することは必要だが、残忍になってはいけない。「主人とは、学んでなるものだ」「主人であることは一つの技能だ」とマルクスは言う。古代ローマでは、家長の管理下にある自由人と奴隷の全体を「ファミリア」と呼んだ。
このへんを読んでいると、古代ローマの「奴隷」というのが、その言葉の(日本的な?)イメージほどには「市民」と隔絶していなかったように思えてきた。現代の経営者と労働者(被雇用者)の関係にも似ているのではないか。まあ日本の経営者と労働者の標準的な関係が、あまりにも近代化されていないから、こう感じてしまうのだけど。
だが、古代ローマ人が奴隷を本質的に劣った存在と見ていたことや、気まぐれで奴隷に与えていた体罰(目をつぶしたり、手足を折ったり)や、嫌疑をかけられたときの拷問の記述を読むと、さすがにこれは古代の習慣だと思い直した。一方で、近世以前の地主と小作人の関係とか、貴族と家人あるいは武士の関係はこんなものかもしれない、と思ったりもした。
それから、奴隷は生得的に市民と異なるとされながら、「解放奴隷」という制度があったことも、忘れがちな視点。ローマは多くの奴隷を解放し、市民社会に取り込んでいった。中には、大きな権力と莫大な富を手に入れたり、学者や作家として業績を残した解放奴隷もいる。解放奴隷が野心に取りつかれるのはよくあること、という記述を読んで、ちょっと中国の宦官制度を思い出した。
古代ローマをよく知らない私にとって、非常に面白かったは「奴隷の楽しみ」の章に見られるサトゥルナリア祭の記述。12月17日に始まり、何日間も続く熱狂的などんちゃん騒ぎ。祭りの間は階級がなくなり、価値観が逆転し、ふだんはいい行いとされるものがそうでなくなり、下品で、冒涜的な振る舞いが良しとされる。奴隷たちは籤引きで王を選び、選ばれた者は王冠をかぶり、次々におかしな命令を出す。祭りの最後の儀式で王が殺される(象徴的に)と全てが終わる。これは、文化人類学や民族学でしばしば言及される「冬至の祭り」のこと。「王殺し」というモチーフは、80年代に少し流行った。丸谷才一さんの『忠臣藏とは何か』とか、萩尾望都の『偽王』がなつかしい。
この「価値観の逆転」や「王殺し」は、哲学的に深遠な意味をもたせて語られることが多いと思っていたが(私の読んできた本がそうだった)、著者がわりと平明に「祭りをきっかけに、緊張がほぐれることで反目や内輪もめが解決する」「ルールのない社会の混沌を体験することで、序列や規範の大切さを再認識する」等、その効能を解説しているのが興味深かった。こういう楽しい本を書いてくれる学者先生は大好きである。