見もの・読みもの日記

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夢を追い求めず/教育の職業的意義(本田由紀)

2010-04-21 23:48:59 | 読んだもの(書籍)
○本田由紀『教育の職業的意義:若者、学校、社会をつなぐ』(ちくま新書) 筑摩書房 2009.12

 今日の厳しい就労環境を生き抜く若者を育てるには、「教育の職業的意義」の再構築が必要だ。これは、基本的には『多元化する「能力」と日本社会』(2005)『軋む社会』(2008)などで、著者が主張してきたことの繰り返しである。

 本書の新しさとしては、教育の職業的意義(≒実業教育)をめぐる歴史的な沿革が、詳しく述べられていて興味深い。明治期から第二次世界大戦終了まで、為政者側は「実業教育」の拡充にきわめて積極的だったが、人々の間には「普通教育」への志向が強くあった。また、戦前期の「実業教育」は、体制に奉仕する「臣道実践・職域奉公」的な発想(産業報国運動)と少なからず結びついていた。終戦直後にはこの反動が起きるが、50年代から60年代前半にかけて、経済発展のための政策的要請から、再び「教育の職業的意義」が重視され始める。

 けれども、高校進学率の急上昇、急激な経済成長による労働力重要の持続は、幸か不幸か「日本的雇用」(終身雇用、年功序列)を可能にし、その結果、「職務給」(※年功や一般的能力を重視する「職能給」とは異なる)原理が希薄化し、「教育の職業的意義」が見失われるに至った。同時に、60~70年代には、教育学の内部においても、人間の「全面発達」や普遍的教養の重要性を掲げる議論が主流となった(ソビエト教育学からの影響があるという。へえ~意外)。このように、70~80年代の日本では、歴史的に特異なほど「教育の職業的意義」を軽視した教育が行われた。そうだったのか。私は、まさにこの特異な教育を受けた世代である。

 90年代初頭以降、「日本的雇用」は過去のものとなり、正社員は「ジョブなきメンバーシップ」(=職務の量や範囲に際限がない)、非正社員は「メンバーシップなきジョブ」(=身分保障がない)という状態に苦しんでいる。社会に出ていく若者に必要なことは、「適応」と「抵抗」の両面のスキルを身につけることだ。これが著者の考える「教育の職業的意義」の獲得目標である。

 著者は、流行りものの「キャリア教育」を、「教育の職業的意義」とは「似て非なるもの」として退ける。望ましい「勤労観・職業観」や「汎用的・基礎的能力」の方向性は掲げながらも、それを実現する手段を具体的に提供することなく、結局「自分で決めよ」と突き放すことは、若者の不安を煽るに過ぎない。私はこれについて、著者に全面同意する。さりげなく本文に落とし込まれた「『キャリア教育』には、若者に対する為政者の願望が詰め込まれている」という一文は、かなり痛烈な皮肉だと思った。

 必要なことは、いかなる領域にも通用する汎用的スキルを身につけることではなくて、特定の専門分野に習熟することを通じて、より広い分野に応用・発展してゆく可能性をも獲得することだ、という著者の主張は、私の場合、自分の体験に照らしてみても、理解しやすい。ところが、世間の反応は、どうもそうではないらしく、著者の主張する「柔軟な専門性(flexpeciality)」は、汎用的な基礎能力を意味する「キー・コンピテンシー(主要能力)」ほどには、相変わらず広まらない。やっぱり、「個別」や「具体」より、「綜合」や「理念」のほうがカッコいいと感じる人が多いのだろうか。困ったものだ。

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