不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

史料研究者のとっておき/日本史の森をゆく(東京大学史料編纂所)

2015-01-06 00:10:38 | 読んだもの(書籍)
○東京大学史料編纂所編『日本史の森をゆく:史料が語るとっておきの42話』(中公新書) 中央公論新社 2014.12

 東京大学には、学部・研究科(大学院)のほかに「附置研究所」と呼ばれる組織がある。史料編纂所は「研究所」と名乗ってこそいないけれど、この「附置研究所」のひとつである。というより、書店あるいは歴史好きの人間の印象で言えば、『大日本史料』『大日本古記録』という史料集を営々と(←この古めかしい形容詞がぴったり!)編纂し、刊行し続けている組織である。

 本書は、史料編纂所に所属する42名の研究者が、それぞれの専門分野から、とっておきのトピックについて執筆した短編エッセイ(5ページ)のアンソロジーである。どこからお読みいただいても結構、というのが、所長の久留島典子先生のお言葉であるが、内容は「文書を読む、ということ」「海を越えて」「雲の上にも諸事ありき」「武芸ばかりが道にはあらず」「村の声、町の声を聞く」という四つの章に分類されている。

 個人的には、「海を越えて」(対外交流史)の章がいちばん面白かった。冒頭は田島公氏の「鳥羽宝蔵の『波斯国剣』」。鳥羽宝蔵とは、鳥羽上皇が建てた勝光明院の宝蔵のことだが、ここに「波斯(ペルシャ)国剣」と注記される「剣一柄」が収蔵されていたというのである。ええ~!! 著者は、杉本直治郎氏の説により、真如親王(高丘親王)が長安で入手し、帰国する日本人僧に託した剣(ペルシャ起源で、スキタイ人が好んだ両刃の短刀)ではないかと推測する。同時期、仁和寺宝蔵には、インド製の杖剣も伝えられており、「平安時代の天皇家の宝蔵は、実に国際色豊かであった」という結びの文が放つ香気にあてられ、うっとりした。

 須田牧子氏の「杭州へのあこがれ、虚構の詩作」は、明に向かった日本の朝貢使節団が、杭州観光にどれだけ執着していたかを物語る。歌詠みにおける「歌枕」の伝統と比較しているのは、達見。なお、サラリと流されていた「日本の朝貢使節団同士が喧嘩して寧波の町を焼失させた、1523年の寧波の乱」という事件を私は知らなくて、え?と本文を二度見してしまった。受けた教育の所為だけにはできないが、近世以前の日本が、周辺地域とどのような「対外交流」を持っていたかという点は、私の学生時代、あまり重視されていなかったように思う。

 だからこそ、この「海を越えて」の章に収められたエッセイは、どれも面白かった。「16世紀末のリスボン市内の教会記録で、日本人の婚姻登録が少なくとも四件以上確認されている」とか、16世紀の大友宗麟が所有したフランキ砲が大阪城に保管されており、幕末に蝦夷地防衛のため持ち出したところ、ロシア艦に奪われ、最近、ロシア国立軍事史博物館で200年ぶりに「発見」されたなど、この国と世界の歴史が、何か従来と違った顔で立ち現れてくる感じがして、わくわくと心躍った。

 ほかの章から印象に残ったエッセイを紹介すると、源頼朝と岩窟(洞窟)のかかわりの深さに着目し、その背景に「中世の日本に広く存在した洞窟に対する信仰があった」と考える一篇。ほんとかなあ。また、中世の薬師寺の寺僧には、唐招提寺に出向する者がいて、薬師寺は唐招提寺の運営に一定の影響力を持っていた。へええ。唐招提寺には、黒衣僧(遁世僧)と白衣僧(官僧)がいて、薬師寺の白衣僧(官僧)は地域社会の検断権(治安警察権)を握っていたが、罪を得てに落とされた人々を保護・救済することは黒衣僧(遁世僧)の役目だった。この件、興味深いので、もう少し詳しく知りたい。著者の及川亘さん、早く一般向けの本を書いてくれないかな。待っている。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2014-15年末年始・食べたもの | トップ | 日本とイスラエル/こんにち... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

読んだもの(書籍)」カテゴリの最新記事