○篠田航一、宮川裕章『独仏「原発」二つの選択』(筑摩選書) 筑摩書房 2016.9
休日のショッピングモールで食事をしていたとき、隣りのテーブルのおじさんが「女子どもは原発に反対で困る」と大きな声を出していた。そうかー。女子どもで結構だが、逆にどうして賛成できるのかなあと思いながら、食後に立ち寄った書店で本書を購入した。
本書は、毎日新聞社に勤務する二人の記者が、2022年までの全原発停止を決めたドイツと、依然として国策としての原子力を重視するフランスという、一見、対照的な両国のエネルギー事情をレポートしたもの。第1部「ドイツ編」の著者・篠田航一は2011年4月にベルリンに、第2部「フランス編」の著者・宮川裕章は2011年10月にパリに赴任した。どちらのレポートも、2011年3月の東日本大震災と福島第一原発事故から始まる。あのとき、私は日本国内のニュースを追うので精一杯だったけど、世界中が日本を注視していたことを、初めて認識した。
3月11日、ドイツのメルケル首相はブリュッセルで日本の大震災を知る。翌12日に福島の原発事故を知り、その日の夕方、ベルリンの首相府に集まった政権幹部たちは「ドイツは原発を今すぐ止めるべきか」を協議した。早い。恐ろしく対応が早い。15日には80年代以前から稼働している老朽化した原発を止めるプランを発表し、3月中に脱原発に関する倫理委員会を立ち上げ、6月6日に「2022年末までの脱原発」を閣議決定し、6月末に連邦議会は改正原子力法案を可決した。震災から3ヶ月、日本人が夏の電力不足を心配している頃、ドイツでこんなことが起きていたなんて、全く知らなかった。2013年の総選挙対策とか、リスクに敏感すぎるドイツ人気質(ジャーマン・アングスト=ドイツ人の不安)のあらわれとか、冷笑的な評価もあるけれど、私はこの決断と実行力をうらやましいと感じる。
物理学者でもあるメルケル首相は、科学技術の有用性をよく理解していたと思う。だからこそ、技術大国である日本でも事故が起きる、という事実を突きつけられた衝撃は大きかったのだろう。彼女は、もともと原発維持派だったというが、想定外の事態に臨んでは、態度を変えることをためらわない。これは、優れたリーダーの資質だと思う。
では「脱原発」の決断は、国民の生活にどのように作用したか。ドイツが期待をかけているのは、バルト海や北海の洋上風力発電所である。しかし、産業拠点が集中する南部に電力を送るには、長大な送電線を設置しなければならず、そのルート上では、環境や景観の破壊、健康被害の不安を訴える反対運動が起きている。
また、当面の脱原発の穴埋めとしては、再生エネルギーよりも、伝統的な石炭・褐炭の活用が注目されている。しかし石炭・褐炭は、地球温暖化の要因となる二酸化炭素を大量に排出する。さらに褐炭の産地では、採掘場の拡張のために、住民が強制移住になるとの憶測も流れていた。原発以外のエネルギーなら、環境にやさしく住民にやさしいかというと、そんなことはないのだ。どんなエネルギーを選んでも、どこかで誰かが犠牲を強いられるのだと感じた。
だが、やっぱり原発は欠陥が多すぎる。著者は、原発から出る「核のゴミ」最終処分場の候補地であるゴアレーベンやグライフスヴァルト原発の「廃炉」作業を取材している。脱原発を決めても、これらの処分や作業は、気が遠くなるような長い期間、続くのである。
一方、フランスも福島の原発事故には衝撃を受けた。しかし、著者によれば、時間が経つにつれて「原発は日本だから起きた。フランスは違う」というトーンが目立ってきたという。うーむ。そう考えるか、フランス。著者は、「原発村」フラマンビルやラアーグ再処理工場、ビュール村の「核のゴミ」最終処分場の試験施設などを取材している。不安を口にする住民もいるが、原子力産業が創出する「雇用」を選ぶ、という住民が多いことも事実だ。そりゃあ、雇用がなければ生活はできない。でも、雇用か原発かという選択を強いること自体がおかしくないか。
原子力産業の育成に力を入れてきたフランスでも、2011年の福島原発事故のあとは「縮原発」の逆風が吹いた。そこに、2013年、イギリスへの原発輸出が決まる。イギリスは80年代まで原発先進国だったが、サッチャー政権による電力市場の自由化が徹底された結果、コストのかさむ原発は新設されなくなり、技術も衰退してしまったのだという。これは、フランス原発産業幹部の、原発市場は「国家市場」である(国家の介入がなければ成り立たない)という発言とあわせて、興味深く思った。何でも行き過ぎた「市場化」はよくないと思ってきたが、市場化の徹底こそが、脱原発の王道なのかもしれない。
そしてフランスでも、再生可能エネルギーの取り組みや、老朽化した原発の「廃炉」作業が粛々と行われている。今後、原発産業の輸出と並行して、廃炉ビジネスの需要が増え、国際競争が過熱してくると見られているそうだ。最後に原子炉とは異なる「核融合炉」の可能性が紹介されていて、興味深かった。エネルギー問題について、日本の政府や運動家の言葉を聞いているだけでなく、各国の状況を正しく知ることはとても重要である。役に立つ1冊だった。
休日のショッピングモールで食事をしていたとき、隣りのテーブルのおじさんが「女子どもは原発に反対で困る」と大きな声を出していた。そうかー。女子どもで結構だが、逆にどうして賛成できるのかなあと思いながら、食後に立ち寄った書店で本書を購入した。
本書は、毎日新聞社に勤務する二人の記者が、2022年までの全原発停止を決めたドイツと、依然として国策としての原子力を重視するフランスという、一見、対照的な両国のエネルギー事情をレポートしたもの。第1部「ドイツ編」の著者・篠田航一は2011年4月にベルリンに、第2部「フランス編」の著者・宮川裕章は2011年10月にパリに赴任した。どちらのレポートも、2011年3月の東日本大震災と福島第一原発事故から始まる。あのとき、私は日本国内のニュースを追うので精一杯だったけど、世界中が日本を注視していたことを、初めて認識した。
3月11日、ドイツのメルケル首相はブリュッセルで日本の大震災を知る。翌12日に福島の原発事故を知り、その日の夕方、ベルリンの首相府に集まった政権幹部たちは「ドイツは原発を今すぐ止めるべきか」を協議した。早い。恐ろしく対応が早い。15日には80年代以前から稼働している老朽化した原発を止めるプランを発表し、3月中に脱原発に関する倫理委員会を立ち上げ、6月6日に「2022年末までの脱原発」を閣議決定し、6月末に連邦議会は改正原子力法案を可決した。震災から3ヶ月、日本人が夏の電力不足を心配している頃、ドイツでこんなことが起きていたなんて、全く知らなかった。2013年の総選挙対策とか、リスクに敏感すぎるドイツ人気質(ジャーマン・アングスト=ドイツ人の不安)のあらわれとか、冷笑的な評価もあるけれど、私はこの決断と実行力をうらやましいと感じる。
物理学者でもあるメルケル首相は、科学技術の有用性をよく理解していたと思う。だからこそ、技術大国である日本でも事故が起きる、という事実を突きつけられた衝撃は大きかったのだろう。彼女は、もともと原発維持派だったというが、想定外の事態に臨んでは、態度を変えることをためらわない。これは、優れたリーダーの資質だと思う。
では「脱原発」の決断は、国民の生活にどのように作用したか。ドイツが期待をかけているのは、バルト海や北海の洋上風力発電所である。しかし、産業拠点が集中する南部に電力を送るには、長大な送電線を設置しなければならず、そのルート上では、環境や景観の破壊、健康被害の不安を訴える反対運動が起きている。
また、当面の脱原発の穴埋めとしては、再生エネルギーよりも、伝統的な石炭・褐炭の活用が注目されている。しかし石炭・褐炭は、地球温暖化の要因となる二酸化炭素を大量に排出する。さらに褐炭の産地では、採掘場の拡張のために、住民が強制移住になるとの憶測も流れていた。原発以外のエネルギーなら、環境にやさしく住民にやさしいかというと、そんなことはないのだ。どんなエネルギーを選んでも、どこかで誰かが犠牲を強いられるのだと感じた。
だが、やっぱり原発は欠陥が多すぎる。著者は、原発から出る「核のゴミ」最終処分場の候補地であるゴアレーベンやグライフスヴァルト原発の「廃炉」作業を取材している。脱原発を決めても、これらの処分や作業は、気が遠くなるような長い期間、続くのである。
一方、フランスも福島の原発事故には衝撃を受けた。しかし、著者によれば、時間が経つにつれて「原発は日本だから起きた。フランスは違う」というトーンが目立ってきたという。うーむ。そう考えるか、フランス。著者は、「原発村」フラマンビルやラアーグ再処理工場、ビュール村の「核のゴミ」最終処分場の試験施設などを取材している。不安を口にする住民もいるが、原子力産業が創出する「雇用」を選ぶ、という住民が多いことも事実だ。そりゃあ、雇用がなければ生活はできない。でも、雇用か原発かという選択を強いること自体がおかしくないか。
原子力産業の育成に力を入れてきたフランスでも、2011年の福島原発事故のあとは「縮原発」の逆風が吹いた。そこに、2013年、イギリスへの原発輸出が決まる。イギリスは80年代まで原発先進国だったが、サッチャー政権による電力市場の自由化が徹底された結果、コストのかさむ原発は新設されなくなり、技術も衰退してしまったのだという。これは、フランス原発産業幹部の、原発市場は「国家市場」である(国家の介入がなければ成り立たない)という発言とあわせて、興味深く思った。何でも行き過ぎた「市場化」はよくないと思ってきたが、市場化の徹底こそが、脱原発の王道なのかもしれない。
そしてフランスでも、再生可能エネルギーの取り組みや、老朽化した原発の「廃炉」作業が粛々と行われている。今後、原発産業の輸出と並行して、廃炉ビジネスの需要が増え、国際競争が過熱してくると見られているそうだ。最後に原子炉とは異なる「核融合炉」の可能性が紹介されていて、興味深かった。エネルギー問題について、日本の政府や運動家の言葉を聞いているだけでなく、各国の状況を正しく知ることはとても重要である。役に立つ1冊だった。