見もの・読みもの日記

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読めなくても楽しめる/王羲之と日本の書(九州国立博物館)

2018-02-26 23:52:09 | 行ったもの(美術館・見仏)
九州国立博物館 テレビ西日本開局60周年記念 特別展『王羲之と日本の書』(2018年2月10日~4月8日)

 書聖・王羲之(303-361、異説あり)を「日本の書の母胎」として捉え、日本列島で千年以上にわたり伝え育まれてきた書の文化の真髄を、これぞという逸品を通して紹介する特別展。展示室では、大宰府ゆかりの菅原道真(渡唐天神像がモデル)と王義之そのひとがキャラ化されていて、要所要所で分かりやすく作品を解説していて楽しい。

 冒頭には王義之の書跡。と言っても真跡は伝わらないので、王義之にあこがれた人々が伝え残した摸本の数々である。三の丸尚蔵館の『葬乱帖』は17行もあって緩急の変化をじっくり味わうことができる。九博所蔵の『妹至帖』は2行しかないが、軽やかで優美。個人蔵(?)の『大報帖』には「小野道風朝臣」という江戸時代の極め札がついているのが面白い。『定武蘭亭序』は複数の拓本が出ていたが、やっぱり素人には「双鉤塡墨」の摸本のほうが親しみやすい。

 智永(隋)、孫過庭(唐)の書跡を挟んで、われらが日本の空海(774-835)登場。『聾瞽指帰』は24歳の作。墨付きは黒々として、文字は全て、やや縦長の方形に収まっている。一見端正なのに、ものすごいエネルギーの爆発を感じさせる。斜め隣りに『金剛般若経開題残巻』(奈良博所蔵)があって、こちらは全く異なる柔らかな書風。空海が留学中に、当時流行の「王羲之風」をかなり意識的に学んだことが感じられる。

 遣唐使たちが持ち帰った王羲之の書風は、平安時代の「三跡」小野道風・藤原佐理・藤原行成に受け継がれ、「和様の書」として発展していく。道風の『三体白氏詩巻』、佐理の『国申文帖』は眼福。行成は、和漢の名品を残す一方、『藤原行成筆敦康親王初覲関係文書』のように、官僚らしく正確性を第一とした、全く面白味のない書跡も残っている。執務に美意識は持ち込まないタイプだったようだ。

 この頃、平仮名が成立している。神楽歌の最古抄本である『神歌抄』(10-11世紀)には、連綿を使用しない、単体の文字を連ねた平仮名が見られ、国語資料として非常に面白かった。楷・行・草の中では、行書がいちばん平仮名と相性がいいという解説には納得した。楷書では個性がぶつかり過ぎるし、草書は仮名と区別がつきにくいのだという。

 そして『継色紙(こひしさに)』『升色紙(いまははや)』『寸松庵色紙(としふれば)』の揃い踏みにやられた。「王羲之と日本の書」と聞いて、まさかこんな、古筆の最高峰が拝めるとは!! 『継色紙』の解説で、各行の開始位置の高低が山並みのようにリズミカルで、しかも「『も』と『き』の位置が絶妙じゃな」とキャラ化した王羲之が解説していたので、王義之が仮名の書きぶりを解説するか?と可笑しかったけど、しみじみ眺めていると、そんなに可笑しくないように思えてきた。書の美はひとつかもしれない。『升色紙(いまははや)』の3行目と4行目の重なり方は、あざといくらい凄い。

 『高野切古今和歌集』(第1種)とか『元永本古今和歌集』とか『平家納経・法師品』とか、平安貴族の高い美意識をあらわす書跡と料紙が続く中で、ガツンと衝撃を受けたのが藤原忠通の書状である。解説に「筆力が強く、起筆に筆先の打込みが顕著」という。平安中期の優美な書とは完全に異質で、古代から中世(武士の世)への変化を強く感じさせる。この法性寺流からさらに柔和さを除いた書風が、九条良経に始まる後京極流である。また、平安末から鎌倉期には、禅僧たちが北宋・黄庭堅の書風を持ち込んだ。

 先を急いでしまうと、これを再びひっくり返し、繊細優美な平安中期の和様の書(世尊寺流)を復活させたのが伏見天皇である。中世は流派で括れない個性的な書跡が多数見られる。足利尊氏の『願文(この世は夢のごとくに候)』が出ていたのには、びっくりした。結びに至るほど文字が小さく、行の幅が狭くなっていく書の姿から、尊氏の不安定な心中が想像できる。母・上杉清子の『願文』も出ていた。花園天皇は「手が早い」ので薄墨を好んだという指摘も面白かった。右目が不自由だった伊達政宗の書状の解説も納得できた。

 江戸の書は、近衛信尹の『檜原図屏風』や光悦・宗達の『花卉鳥下絵新古今集和歌巻』など、個性と創意工夫にあふれた楽しい作品がたくさん。会場の最後に横長の四文字の額があって、はじめ何と書いてあるのか読めなかったが、魅力的な書だと思った。近づいてみたら、西郷隆盛の「敬天愛人」だった。ネットで検索すると、揮毫は何種類も残っているようだが、この書は抜群にいいと思う。

 なお、東博に長くおつとめだった島谷弘幸さんが、九博の館長になられていたことをいまさらながら知った。こういう展覧会を開催してくれるはずだ。図録の解説も分かりやすくて共感できた。書を楽しむには「読むという行為をいったん忘れることも一つの方法」というのは、まさにそのとおり。ちょうど冬季オリンピックが終わったばかりだが、私にとって書のスピードやバランスの美を感じるのは、フィギュアスケート観戦の楽しみによく似ている。

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