見もの・読みもの日記

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軍産学協働と研究者/近代日本一五〇年(山本義隆)

2018-02-28 23:20:37 | 読んだもの(書籍)
〇山本義隆『近代日本一五〇年:科学技術総力戦体制の破綻』(岩波新書) 岩波書店 2018.1

 明治元年(1868)から2018年まで近代日本の150年間を、科学技術史の観点から振り返る。著者のことだから苦言が多いだろうとは思ったが、予想どおり厳しかった。

 第1章は、幕末から維新直後まで。19世紀中期の欧米は、蒸気機関の実用化によるエネルギー革命の時代だった。日本人は、近代西欧文明の優越性を社会思想や政治思想ではなく科学技術、とりわけ軍事技術から学んだ。西欧においても、技術は科学理論に基づいて発展してきたわけではなく、18世紀末まで大学アカデミズムは技術と無縁だった。しかし19世紀に至り、科学は技術に接近した。日本が欧米に出会ったのは、まさにこの時期であったため、以後、日本の科学教育は、実用性に大きな比重をおくようになった。

 第2章は、明治初年。1870年に工部省が設置され、工部大学校は士族の中から技術士官を育成し、彼らの指導で欧米の科学技術を丸ごと移植することに邁進した。これは、職人層の内部から技術革新の担い手として生まれた英国の技術官僚とは大きく違っていた。国家の強力な指導、民衆の識字率の高さ、効果的な教育制度の形成など、さまざまな要因によって、日本は産業のきわめて早期の近代化(資本主義化)を達成したが、その背後には、製糸工場や紡績工場での女子労働者の苛酷な収奪や、足尾銅山鉱毒事件など農村共同体の無残な破壊があった。

 第3章は、帝国主義の時代。明治期の近代化が一段落すると、日本の科学技術や軍事技術は帝国主義的な意義を帯びていく。電信網、鉄道、さらには海洋調査、気象観測、応用物理学なども。帝国大学には、造船、造兵、火薬学科、遅れて航空学科も設けられた。軍と学は密接な協力関係にあった。日本の科学技術は当初から産業と軍事を支えており、日本の軍事力が対外侵略のためのものになっても学者は疑問もなく追随した。

 第4章は、総力戦体制の時代。最初の科学戦と言われる第一次世界大戦(1914-1918)によって、西欧諸国は、科学者が戦争に役立つことを知った。「国家による科学動員」という政策が生まれ、日本もその影響を受けた。この時期、多くの研究機関が創設され、技術官僚たちは軍人と目標を合流させていく。特に植民地では、軍および官僚機構と企業の緊密な連携が実践された。

 第5章、戦争が始まる。昭和初期は、日本の産業が一定の工業化を達成した時期でもあった。財界は、大学の研究が産業振興に寄与していない点を不満とし、これを改善するために「学術振興会」が設立された。科学は天然資源の不足など国家の課題を解決するオールマイティーと考えられ、科学技術に対する非現実的なまでの過大評価が寄せられた。大学における理工系の拡張、研究施設の充実、科研費の創設など、科学振興は科学動員と表裏一体となって推進された。

 第6章、そして戦後社会。終戦直後、敗北の理由として「科学の立ち遅れ」がさかんに語られた。これは、日本ができなかった原爆製造に米国が成功した、だから日本は負けた、という意味である。科学の立ち遅れの責任は政治や行政にあり、科学者は被害者とされた。その結果、科学者は戦争協力の反省もないまま、官僚と政治家のヘゲモニーによる「科学技術立国」の奔流に流されていく。各種の公害訴訟を経て、ようやく成長幻想の終焉に我々は立ち会っている。

 第7章は、日本の原子力開発の迷走を記述し、福島の原発事故が、エネルギー革命にはじまる日本の近代のひとつの終着点であることを明らかにする。明治以来、一貫して国家目的として語られてきた「国富」概念の根底的な転換に迫られている、というのが本書の最後のメッセージである。

 興味深かったのは、日本における「大学アカデミズム」の特色である。日本の大学は、西欧の場合と異なり、設立当初から産官軍と密接な関係を持っていたことがよく分かった(良し悪しは別として)。その一方、戦前にも財界から「大学の研究が産業の振興に寄与していない」と批判されていたのには苦笑してしまった。今日の大学批判と全く同じではないか。

 驚いたのは、戦後、日本学術会議が実施した研究者へのアンケートで「学問の自由がもっとも実現していたのはいつか」という質問に「戦争中」という回答が最も多かったという事実である。前述のように、戦時中、科学者は優遇されていたのだ。言論の自由がなかろうと、反知性主義が跋扈しようと、多くの研究者にとって、研究費が潤沢であること=学問の自由なのだ。衝撃だけど、この実感を責めることはできないと思う。

 いろいろな技術が、それぞれの時代に持っていた意味について、あらためて気づくことが多かった。海洋学や気象学が、軍事上の必要から発達したということは、あまり考えていなかった。電燈や蒸気機関の発明が紡績工場の苛酷な労働環境を生んだように、新しい技術は必ずしも人間の労働を楽にしないという指摘は強く記憶に残った。また、植民地における鉄道は、支配国の利益(商品・移民・軍隊の浸透、原料・食料の収奪)のために敷設されたもので、被支配国にとっては国民経済の形成を抑圧するものだったという解説もよく理解できた。

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