見もの・読みもの日記

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量産化以前/長谷川等伯と狩野派(出光美術館)

2011-12-23 11:43:11 | 行ったもの(美術館・見仏)
出光美術館 日本の美・発見VI『長谷川等伯と狩野派』(2011年10月29日~12月18日)

 先週で終了した展覧会だが、面白かったので、記憶を掘り起こして書いておこう。まだWeb上に残っている展覧会趣旨を読むと「桃山画壇を席捲した等伯絵画の魅力を、一大画派・狩野派との関係を視野に入れながら、じっくりご紹介いたします」とあって、重点は等伯の側にあることが分かる。そうかー私はタイトルを見て、「等伯」と「狩野派」を等分に扱うのか、と思っていたのだ。

 冒頭は、室町~桃山時代の狩野派の屏風6点。狩野派って活躍年代が長すぎて、なかなかイメージが収斂しないのだが、「狩野派全盛」と呼べるのは、この時代なんだな。長信の『桜・桃・海棠図屏風』が好きだ。後世の典型化した狩野派とは全く違って、梅は梅らしくないし、海棠は海棠らしくない。「梅かよ!」とツッコミたくなるような自由さが、微笑ましくていい。多数の筆者による扇面貼交屏風があったが、元信は東福寺塔頭・永明院を本所とする扇座の代表者だったそうだ。

 さて等伯は『竹虎図屏風』(2009年にも参観)1点をどんと展示したあと、本格的な等伯・長谷川派セクションに移る前に、日中の水墨画の名品が並んでいて、ここで私のテンションは一気に上がってしまった。上記にリンクを張った2009年の日本の美・発見I『水墨画の輝き』展にも同様の作品が出ているが、能阿弥の『四季花鳥図屏風』は、全体を覆うふわふわ感が大好きなのだ。牧谿の『叭々鳥図』もかわゆい。

 牧谿『平沙落雁図』は、薄墨を引いた画面に目を凝らすと、飛来する雁の列がうっすら見えてくる。さらに見落としそうなのは、既に地面に舞い降りた数羽の雁の小さなシルエット。これは、真面目くさって意味を考えながら鑑賞する絵画ではなくて、にこにこ笑いながら見る名画だよなあ、と思う。玉澗『山市晴嵐』も同じ。よーく見ると人がいるのね。ところで「平沙」というのは、広い沙漠をいうのだそうだ。すると、あの薄墨は、日本人的には靄か霞だと思っていたのだが、砂嵐(黄砂)なのかしら? 湖南省、行ってみたい…。

 等伯作品では『松に鴉・柳に白鷺図屏風』がよかった。特に『柳に白鷺図』。空気そのもののような柳の枝の細さと軽さ、白鷺もかわいい。以下、後半では「親近する表現」と題し、長谷川派の『波濤図屏風』と狩野常信の『波濤図屏風』を並べる。写真でなく、実物で比較できるのは、とても貴重な機会だと思った。長谷川派のほうが硬質感があり、常信の描き方はアニミズム的な生命力を感じさせる(ぐるぐる渦巻く波とか…永徳とペアで描いた『唐獅子図屏風』の獅子の毛並みを思い出した)。

 その後の長谷川派の展開として、忘れてならないデザインが「柳橋水車図」。広く人気を獲得して、長谷川派の量産アイテムとなった。出光の『柳橋水車図屏風』は、等伯筆と認められている『柳橋水車図屏風』(香雪美術館蔵)に比べれば、江戸期の「写し崩れ」であるが、わりと好きな作品だ。左右一双揃って展示されるのは、久しぶりではないか。右端の柳の葉が、花弁のように水平に開いているのに対し、中央の柳の葉は下向きに下がっている。たぶん右端は早春の若芽の柳、中央は生命力にあふれた盛夏の柳を表すのだろう。そして(実りの秋の稲穂風景を挟み)三本目の左端の柳は白雪に枝を凍てつかせている。饅頭を伏せたような遠景の山、彩色で描かれた水鳥など、十分にデザイン化される以前の絵師のサービス精神(?)があふれていて、楽しい作品である。

 屏風の間に配された陶磁器も楽しかった。磁州窯系だという『白地鉄絵虎文四耳壺』(明代)には笑ってしまった。カエルにしか見えない、横に目の飛び出た虎の顔…。印象的だったのは『朝鮮唐津花生(銘:猿)』(桃山)。形態的には、この画像が似ている(かな?)。ただし、「銘:猿」は上部が白い素地で、下部に黒っぽい飴釉がかかっていた。

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