見もの・読みもの日記

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日本人による受容と消費/愛と欲望の三国志(箱崎みどり)

2019-12-13 23:55:56 | 読んだもの(書籍)

〇箱崎みどり『愛と欲望の三国志』(講談社現代新書) 講談社 2019.8

 このタイトル、オビは三国志を題材にした浮世絵に加えて淡いピンク色に濃いピンクの文字、ひときわ目立つのは、にこやかに微笑むまだ若い著者の顔写真(東京大学総合文化研究科修士課程修了、ニッポン放送アナウンサーだそうだ)。本来なら絶対買わない種類の装丁だが、そこそこ内容を評価する感想をSNSで読んだので読んでみた。

 著者(1986年生まれ)は小学生のとき、再放送されていたNHKの「人形劇三国志」を見て三国志の面白さにはまり、講談社青い鳥文庫、講談社火の鳥伝記文庫、講談社少年少女世界文学館(ぜんぶ講談社だ!)などを読み、中学生で吉川英治の『三国志』に出会い、ついに大学・大学院で「三国志」研究の道に進んだという。

 なるほどなあ。「人形劇三国志」の本放送時、私は大学生で、まわりにはけっこう視聴者がいた気がするが、私ははまらなかった。だが吉川英治の『三国志』を読んだのは大学時代だと思う。それから柴田錬三郎『柴錬三国志』、陳舜臣『秘本三国志』を1年おきくらいで続けざまに読んだ。本書に「有名作家、それぞれの三国志」と題して、この三作品を比較・分析している章があって、やっぱり今でも「三国志」小説の代表作は変わらないのか、と興味深かった。私はこの中では一番新しい陳舜臣の作品がいちばん好きだった。90年代の北方謙三『三国志』、2000年代の宮城谷昌光『三国志』は読んでいないので、むしろこれら新しい「三国志」の動向が知りたかったが、あまり詳しい紹介がなかったのは残念である。

 さかのぼれば、奈良時代に成立した『藤氏家伝』には蘇我入鹿の専横を評して「董卓の暴慢」という記述があるという。それから『文選』には曹操・曹丕の詩や孔明の「出師の表」が収められているのから読まれていたはずだとか、紀長谷雄の詩に「梁父」「周郎」があるとか、関羽を祀ったのは足利尊氏が京都・大興寺に祀ったのが始まりとか、興味深い調査結果が多数紹介されている。

 しかし問題は『三国志演義』がいつ日本に入ったか。一番早い記録は1604年(慶長4年)で、林羅山の既読書の目録に『通俗演義三国志』が登場するという。羅山は儒学一辺倒でなく、かなり多様な書物に目を通していた人で(参考:江戸幕府と儒学者)あなどれないなあ。伊藤仁斎も孔明について論じているのか。

 1691年(元禄4年)には湖南文山『通俗三国志』が刊行される。「日本語に完訳された長編外国語小説としても、初めてのもの」という評価は重要である。でも湖南文山が誰だったかは不明で、複数の訳者によると考えられていることは初めて知った。湖南文山に翻訳を依頼したのは、対馬藩の以酊庵(現・対馬市厳原町にあった)で三国志の講釈を聞いた西川嘉長(京都の風流人)だったそうだ。三国志受容のあとを追って、対馬に行ってみたくなった。

 『通俗三国志』以後は、その絵入りダイジェスト版が繰り返し出版され、なかでも『絵本通俗三国志』(葛飾戴斗挿絵)は大ヒットとなった。私は、むかし馬琴の『南総里見八犬伝』を読んだときだったか、中国の通俗白話小説の影響の大きさに驚いて、いつから日本人は「三国志演義」や「水滸伝」を読むようになったのか調べてみようとしたことがある。そのとき、解決しなかった疑問が、本書によって何十年ぶりかで氷解した。ありがたいことだ。あと、早くも江戸時代には、三国志の登場人物を女性に見立てたパロディや春画もあると知って笑ってしまった。日本人スゴイ。

 近代以降、三国志は中国文化を理解するための手引書として推奨される一方、孔明だけは「明治という国家主義的な時代精神」に沿ったイメージがつくられ、楠木正成に並ぶ偉人として称えられたことは、我が国の「黒歴史」と思って苦笑するしかない。

 できれば、昨今、中国で制作された映画やドラマを通じて日本に流入している新しい「三国志」のイメージにも触れてほしかったが、それはまたいつか、より若い世代の研究者が書いてくれるだろうか。


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