見もの・読みもの日記

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公務員は多すぎるか/市民を雇わない国家(前田健太郎)

2015-12-19 23:39:36 | 読んだもの(書籍)
○前田健太郎『市民を雇わない国家:日本が公務員の少ない国へと至った道』 東大出版会 2014.9

 昨年9月に刊行されているが、当時、書店で見かけた記憶はない。今回、近所の中規模書店に本書が並んでいたのは、11月11日に発表された第37回サントリー学芸賞(政治・経済部門)を受賞したためだろう。私は、むかしからこの賞が大好きなので、人文書なのに横組みという、いかにも専門書っぽい体裁にもめげず、読んでみることにした。「あとがき」によれば、著者の博士論文に加筆・修正を施したものだという。博士論文らしく、序論に全体の構成を示し、各章に「小括」が設けられているのが、理解の助けになった。

 日本の公務員は多すぎる、という意見にしばしば出会う。しかし、実は日本の公務員数(人口に占める割合)は他の先進諸国に比べて極端に少ない。第1章はその事実を数字で確認する。人事院の年次報告書に示す公務員数が約400万人(2003年)。これに特殊法人、独立行政法人、地方公社、公営企業等々を加えて、MAXと思われるまで定義を拡げても600万人強で、世界比較では少ない。にもかかわらず日本の公務員は多い、という思い込みの由来を探った考察が面白く、1947年の読売新聞は、当時250万人の公務員数に関し「1人が4人扶養家族を持つとすれば1250万人となり」「国民は6人で1人の官吏を養っている」という珍妙な説を立てている。2005年の日本経済新聞は「2003年の源泉所得税の納税状況」を基礎に「政府部門の就労者に区分される人は893万人いた」というが、これって短期バイトとか原稿の執筆とか有識者会議の委員とか、政府機関から何らかの報酬を得た者を全て合算した数字と思われるから、全然信用できない。人間は信じたい説に都合の良い数字を召喚してくるらしい。

 では、日本の公務員数はいかにして他国より少なくなったのか。日本の戦前の公共部門は、他の国々と同じように、経済発展(と社会の複雑化)とともに拡大していた。しかし、その拡大が日本は他の国々より早く、1960年代の高度成長期に止まっている。高度成長期の日本では国際収支の変動に対応するため、財政の硬直化を打開する必要があった(人件費が増大し、固定化すると、新たな行政需要に柔軟に対応できず、景気の調節も困難になる)。同じ問題に対して、公務員の給与を抑制して財政支出をコントロールする方法を選択した国もあった。ところが、日本では人事院が公務員の給与を決定するため、政府は給与水準をコントロールすることができない。そのため、政府は公務員数を抑制する手段をとったのである。

 なんと!公務員の増加抑制の根源が人事院制度だったなんて。実は、私は公務員として就職し、いまも政府系機関にいるのだが、人事院勧告というのが日本独特のものだということを全然知らなかった。人事院勧告で公務員給与が決まる仕組みはGHQの介入によって作られた。その理由に公共部門の労使対立の激化があり、さらに背景には、日本が(二度の総力戦を経たヨーロッパと比べて)労使対立の生じやすい歴史的条件の下にあったことが、本書には詳述されている。終戦直後、日本の労働運動はあまりに急進化したため、GHQによって導入された団体交渉制度を維持することができず、労働基本権の制約と引き換えに、人事院勧告制度を与えられることになる。いろいろと教訓が引き出せるなあ。

 後半には、イギリス政府が、賃金交渉によって財政支出を抑える努力を続けたが、最終的に人員抑制に転換した経緯が詳述されており、他の国々の事例も紹介されている。公共部門(福祉国家)の拡大が止まるメカニズムとタイミングはさまざまであるようだ。

 最後に著者は、日本の公務員数が抑制されたことによって「他の国であれば公務員になれたにもかかわらず、日本では公務員になることのできなかった社会集団」の不利益を指摘する。すなわち女性である。男女の平等を推進する上で公共部門における雇用の果たす役割は大きい。これは本当にそうだと思うので、なんとかしてほしい。

 日本の行政組織は、少なすぎるヒューマンリソースを補うため「最大動員」という体制をとっている、という指摘も身にしみる。要するに一人がいくつもの仕事を兼務しなければならないから、この状態では専門家は育たないだろう。いや一方で、確か「専門人材の育成」が求められているのに。「今後も従来のように行政改革を続けて公務員数を減らしても、そこから日本の市民が得られるものは多くない」という著者の判断に同意する。もちろん政府の財政支出を大幅に増やせるものではないが、現在の「公務員の給与と定員の内の前者を優先的に守る仕組み」は再考されてよいのではないか。私の周囲でもこれに同意する同僚は少なくないように思う。

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