見もの・読みもの日記

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地域社会の記憶/鉄道ひとつばなし3(原武史)

2011-04-16 22:15:10 | 読んだもの(書籍)
○原武史『鉄道ひとつばなし3』(講談社現代新書) 講談社 2011.3

 通常のカバーの上に、さらに表紙の3分の2以上を覆う写真入りのオビをつけて「累計10万部突破!大人気シリーズ待望の最新刊/孤高の鉄学者は何を見たか」と謳っている。この数年、鉄道ブームが認知され、写真集、エッセイ、ガイド本など、さまざまな関連書籍が刊行されている。しかし、本書の立ち位置は、ディープな鉄道マニア本とは、ちょっと異なる。読みながら、ああ、やっぱり原先生の本だなあ、と思う。私は、著者の『大正天皇』『昭和天皇』『皇居前広場』『滝山コミューン1974』などをずっと読んできているので、本書のような鉄道エッセイにも、天皇制や民間宗教や都市空間の研究者の顔が垣間見えるのが嬉しくて、楽しい。

 たとえば、古事記に取材した「健御名方(たけみなかた)神の逃走」の章。健御名方神が「此地(諏訪大社)を除きては他処に行かじ」という誓いを破って、上諏訪駅からJR中央本線に乗って出発したら…という想定で始まる。このオチが秀逸で、私は大笑いしたのだが、フツーの鉄道マニアには別に面白くないだろうと思う。諏訪には、2008年に行ったので、記憶が新たで、一層面白かった。

 私が1年前まで使っていた東武東上線の話題もあった。2008年に登場した「TJライナーに乗る」の記である。首都圏の通勤電車のロングシートとも違うが、私鉄の座席指定特急の豪華さはない。そこで著者は、ロンドン・キングスクロスからケンブリッジに向かう英国の電車を思い出す。車両といい、混雑率といい、さらには坂戸駅を過ぎる頃から始まる雄大な関東平野の風景も、英国の車窓を思わせるという。そうと聞いていたら、長い乗車区間も、もう少し楽しめたかも。

 この3月、逸翁美術館に行くために初めて降りた阪急宝塚線の池田駅が「阪急にとっての原点」だという記述にも出会った。財界人でありながら、茶道を愛し、少女演劇の脚本を書いた小林一三に今日最も近いのは、西武の堤清二であろうと著者は述べている。阪急文化圏で育った手塚治虫が、東京では「トキワ荘」以後も、ずっと西武沿線に愛着を持っていたという指摘も面白いと思った。

 「あとがき」によれば、著者は東北新幹線に乗って新青森まで行ったことも、九州新幹線に乗って鹿児島中央に行ったこともないそうだ。むしろ本書は、少年の日に車窓から見た印象的な看板を書きとめ、記憶に残る立ち食いそばや駅弁の味を記すことに熱心である。それらの「個人的な記憶」は、同時代を生きてきた人々と共振するものだと信じるからだ。著者の鉄道エッセイが、類書と異なって魅力的なのは、まさにこの点にあると思う。

 それにしても、日本の鉄道はどこに行ってしまうのか。教会も広場も持たない日本では、鉄道こそが「不特定多数の人々が居合わせる公共的な空間」となり、組織や集団の圧力から逃れようとする人々を受け入れてきた。と同時に、鉄道は「地域に住む人々の集合的記憶を形成する」ことで、失われた共同体を求める人々(特に高齢者)の安らぎにもなっている。この分析に私は深く共感する。将来は、必ずしも自分が乗り慣れた路線でなくてもいいから、どこか鉄道が生きている町で老いていきたいなあ。

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