見もの・読みもの日記

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英国から振り返る/大学はもう死んでいる?(苅谷剛彦、吉見俊哉)

2020-03-12 22:18:12 | 読んだもの(書籍)

〇苅谷剛彦、吉見俊哉『大学はもう死んでいる?:トップユニバーシティーからの問題提起』(集英社新書) 集英社 2020.1

 東大で教えた経験のあるオックスフォード大学教授の苅谷剛彦氏と、ハーバード大学で教えた経験のある東大教授の吉見俊哉氏が、日本の大学について考える対談。苅谷さんの大学論を読むのは初めてだが、中等教育を論じた『学校って何だろう』(ちくま文庫、2005)は好きな1冊だ。本書は「大学改革」「授業」「職員」「文系と理系」「グローバル化」「キャンパス」という6つの側面から日本の大学を考える。要約は難しいが、各章で気になった記述や指摘を抜き出しておく。

 「大学改革」は、現在の大学を語る上で避けて通れないキーワードだ。キャッチアップ型の人材育成の限界が指摘され、予測困難な時代に対応できる新しい人材をつくる方向にシフトチェンジしようとしたのは、1980年代後半の臨教審。しかしこの方向転換によって、日本の大学政策は明確なゴールを失い、以後、混迷の時代が続いている。苅谷氏によれば、日本では経済成長の達成を以って「近代化が終わった」と考えるが、イギリスは、社会福祉制度の整備や人権の尊重などを含めて「近代」と考えている。だからイギリスの近代化はまだ当分終わらない。また、日本の大学改革≒規制緩和の根源は新自由主義だと言われているが、日本流の新自由主義は「リベラリズムが定着していない社会で起こったという意味で、ネオリベラルとは違う」という指摘も新しい発見だった。使い古された言葉の真偽を新たな視点で吟味することはとても重要だと思う。それから、吉見氏が、今の大学(特に国立大学だと思う)を評して「戦国時代みたい」と言っていたのも気になった。分裂、対立、独自路線、そして腹の探り合いの時代なのだという。

 「授業」については、日本で一般的な「広く浅く学ばせる方式」に対して、両氏とも「深い授業」を目指して苦心している。深い授業をすれば、知識には穴が開く。しかしアカデミックな能力が身につけば、穴は自分で埋められるはずなのだが、なかなか理解されない。オックスフォードでは「読ませて、書かせて、アーギュメントできる能力を育てる」教育が根付き、有効に機能していることが社会にも承認されているから、誰も「やり方を変えろ」と言わないのだという。うらやましい。シラバスやTA、メンタルヘルスケアの具体事例の紹介も面白かった。

 「職員」について。英米の大学と日本の大学では「とりわけ授業と職員のあり方で決定的な差がある」と宣言されていたわりには、職員についての考察は物足りなかった。しかし国立大学が、今も驚くほど教員主導で、教員が自ら抱え込んだ権限を手放さないという吉見氏の指摘には強く同意。能力のある職員がいなくて任せられないと思っているのかもしれないけど、決定領域の健全な分業が成立していないことは教員にも職員にも不幸である。

 「文系と理系」について、目指すべきは文理の融合ではなく、異なる学問的方法論の間に対話の可能性をつくっていくことだというのは大変共感できた。文系・理系に関係なく、大学は「知の集積」に恐れおののく体験を与えるところ、という話から、東大の総合図書館の改修計画への批判的な言及あり。しかし書籍の山を見て「知の集積」を想像できるかどうかも、やがて変わっていくのではないだろうか。

 「グローバル人材」の章では、吉見氏が東大のGLP-GEfIL(グローバルリーダー育成プログラム)という特別教育プログラムにかかわった経験が語られている。寄付集めのため企業をまわり、ひたすら頭を下げ、相手にあわせてあらゆる会話をしたという。実は大学というのは一貫性のない組織で、プロジェクトの中心的な教員が退職したり、学部や大学の執行部が変わると、以前の取り組みが全て消えてしまうことが起きるのだが、スポンサー企業への説明責任があると、かえって事業の持続可能性が担保さるという話も面白かった。

 最後に「キャンパス」では、オックスフォード大学が今でも中世さながらの試験風景を残していることを紹介し、大学のキャンパスという結界の意味を考える。さらにキャンパスを越えて広がる知の基盤、近代日本における出版と翻訳について考え、再び図書館にも触れる。今の大学図書館を評して「異なる学問領域や異なるメディアがハイブリッドに交流するクロスロード的な空間」「知識基盤型社会の知的広場」と呼ぶのは、よくできたキャッチコピー程度にしか聞こえないが、「長らくそれが前提としてきた著者と読者の不均衡な関係を、さまざまな仕掛けでひっくり返すことが可能な実験的な場」という記述は、直感的に面白いと思った。何を仕掛けたら、こんなことが可能になるだろうか。

 多くの困難が指摘されているにもかかわらず、両氏とも学生を教えることのよろこびは揺るがないので、数ある大学問題本の中では珍しく、根底にあるオプティミズム、ポジティブ志向に元気づけられる。

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