見もの・読みもの日記

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漱石の画家のその後/背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和(練馬区立美術館)

2020-03-09 00:19:11 | 行ったもの(美術館・見仏)

練馬区立美術館 生誕140年記念『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』(2020年2月21日~4月12日)

 新型コロナウイルス感染症の影響で、都内の美術館・博物館が軒並み休館する中で、どうやら開けているらしいと分かったので行ってみた。津田青楓(1880-1978)は、京都の生け花の家元の家に生まれたが、奉公先を飛び出し、生活の糧として図案制作を始める。本格的な日本画も学び、次いで洋画を学んで、フランスへ留学する。帰国後、東京へ移住し、夏目漱石に出会う。

 私が津田青楓と聞いて最初に思い浮かべるのは、漱石の著書の装丁である。数では橋口五葉のほうが多いのだろうけれど、なんといっても『明暗』。ほかにも岩波書店版の『道草』(きれいだなあ!)や講演・小品集『金剛草』(至誠堂)など。『色鳥』(新潮社)の赤と黒の繋ぎ文様の装丁は、今も新潮文庫の漱石シリーズに使われているもので懐かしかった。

 1階の展示室は、これら装丁の仕事に近い図案作品が多数並べられていた。花鳥や和船や田園風景など日本の伝統的な風物が新しい感覚で切り取られていて楽しかった。漱石や門人たちとの交友を示す資料、それから青楓が描いた漱石の死に顔のスケッチもあった。青楓が日露戦争に従軍し、旅順包囲戦などの激戦を体験していたことは初めて知った。こんなに甘く儚く美しい図案を生み出した青楓が、ごろごろと死骸と負傷者のころがる戦地を見ていたということが、なんだか呑み込めないまま胸に残った。

 2階の展示室は、洋画家としての青楓を紹介する。図案の仕事とは打って変わった作風だ。明暗を単純化したマッシブな人物像、特に裸婦を描いた作品が多く、印象的だった。関東大震災後の混乱を避けて京都に戻った青楓は、経済学者川上肇を知る。着物姿でぶ厚い洋書を読む『研究室に於ける河上肇像』という肖像画を描いている。青楓は、河上の影響でマルクスを読むなど、社会思想への関心を深めていく。

 そしていくつかの衝撃的な作品。この展示構成はとても苦心して設計されていたと思う。まず大画面の『疾風怒濤』が嫌でも目に入る。岩に当たって真っ白に砕け散る波濤。昭和7年(1932)の作品で、左翼思想に対する弾圧が強化され、息苦しい世相に対する不平不満を表明したものと見られているという。歩を進めて、視線を右手の奥まった空間に向けると、昭和8年(1933)作の『犠牲者』が掛かっていた。破られたぼろぼろの服、血を流しながら、両手を吊り下げられた男。小林多喜二の虐殺をテーマに、十字架のキリストを重ねて描いたものだという。画面の左下に鉄格子の嵌った四角い窓があり、木の枝に隠れるように国会議事堂が描かれている。一瞬信じがたいが、青楓の作品である。青楓は、官憲にアトリエに踏み込まれたが、この絵を隠して押収を免れた。公表されたのは戦後である。

 この絵を囲んで、小林多喜二のデスマスク、プロレタリア美術展覧会のポスター、そして、山本宣治の葬儀を描いた、大月源二の『告別』も展示されていた。昨年、小樽文学館の企画展『いまプロレタリア芸術が面白い! 』には、カラーコピーを貼り合わせた複製が展示されていたもの。まさか津田青楓展でこの作品に出会うとは、予想もしていなかったので動揺してしまった。山本宣治の母親は青楓の生家に生け花を習いに来ていたという。

 それから昭和6年(1931)の『ブルジョワ議会と民衆生活』(下絵のみ現存)も興味深い。青空を背景に、当時建設中だった国会議事堂の大建築を堂々と描き、その下に日陰に沈むような民衆のバラックを描く。実景なのかイメージなのか分からないが、当時の「議会」が全く民衆のものでなかったというメッセージは伝わってくる。そんな青楓であったが、昭和8年に検挙されたあと、「転向」を誓約することで起訴留保処分となる。会場には、当時の新聞記事のスクラップブックが展示されていた。

 青楓は、社会主義や社会運動への関心を断ち切ると同時に、洋画を捨てる。さらに展覧会や公的な仕事から退き、日本画(南画)だけを描き続ける。それは戦後も変わらなかった。やわらかな形とあざやかな色彩。90歳を超えて、どんどん自由に奔放になる筆遣い。1975年に画家・毛利武彦が描いた晩年の青楓の肖像、さらに死に顔のスケッチがある。

 本展が青楓に冠した「背く画家」というタイトルを、最初はほとんど気に留めていなかったのだが、長い生涯をたどってみると「因習に背く」「帝国に背く」「近代に背く」画家だったことが理解できた。70年代の豊かになりゆく日本の中で、自分の描きたい絵を描き続けた晩年は幸せだったのかなあ。どうだろうか。

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