見もの・読みもの日記

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もうひとつの歌川派(弥生美術館)+はいからモダン袴スタイル展(竹久夢二美術館)

2020-03-06 22:28:11 | 行ったもの(美術館・見仏)

弥生美術館 『もうひとつの歌川派?!国芳・芳年・年英・英朋・朋世~浮世絵から挿絵へ 歌川派を継承した誇り高き絵師たち』+竹下夢二美術館 『はいからモダン袴スタイル展-「女袴」の近代、そして現代 -』(2020年1月7日~3月29日)

 新型コロナウイルス感染症の影響の中、都内で開館を続けている数少ない美術館に行ってきた。弥生美術館の『もうひとつの歌川派?』は、歌川豊春から始まる浮世絵界最大の派閥「歌川派」のうち、注目されることの少ない絵師たちを取り上げる。「もうひとつの」と言われても、主流派のほうを知らなかったのだが、豊春→豊国→国芳→月岡芳年→水野年方→鏑木清方→伊東深水というのが、最も知られた系譜らしい。

 本展では、まず国芳と芳年をたっぷり。大好きなので嬉しい。芳年の『素戔嗚尊出雲の簸川上に八頭蛇を退治し給う図』を久しぶりに見た。縦長の画面を活かした『魯智深爛酔打壊五台山金剛神之図』もよい。芳年の兄弟弟子である落合芳幾も。

 そして、芳年の弟子の右田年英(1863-1925)→鰭崎英朋(1880-1968)→神保朋世(1902-1994)というのが、本展企画者の推しの系譜であるらしい。右田年英の名前は、先日、太田美術館の『ラスト・ウキヨエ』展で覚えたばかり。『ラスト・ウキヨエ』展のポスターになった『羽衣』図の作者だが、歴史画、美人画、新聞錦絵、日清・日露戦争に取材した戦争絵も描いている。

 その弟子、鰭崎英朋(ひれざき えいほう)は、ちょうど太田美術館で『鏑木清方と鰭崎英朋』(2020年2月15日~3月22日)が始まっていたのだが、3月1日から臨時休館になってしまった。「鰭崎」という珍しい姓は源頼朝の逸話に由来し、幼い頃から父親を知らず、有名になれば父親に会えるかもしれないと期待していたというのが、この時代らしいと思った。女性を描くことに強いこだわりがあり、清方の「清純」に対して、鰭崎の「妖艶」とも言われるが、ちょっと違う気がする。「艶」というか、若い娘も生活に疲れた年増も、ドキドキするような生々しさがあるのだ。115年ぶりの発見・公開だという『焼あと』も、題材的に美人画ではないのに、真剣な女性の美しさに圧倒されてしまう。

 また鰭崎は、日本の昔話を題材にした講談社の絵本の仕事もしている。戦前の作品だが、装丁などを改めて昭和40年代頃まで売られていたと思う。私は実際に幼稚園や図書館で手に取った記憶があり、この絵!と思い出して懐かしかった。

 鰭崎の弟子の神保朋世のことは、逆によく知らない。野村胡堂や邦枝完二など時代小説の挿絵を描いていたという。作品を見ると、ああ、なるほど、私が子どもの頃、大人の本に載っていた絵だと思う。時代的には一番新しいのに、一番古い感じがした。

 併設の竹久夢二美術館の『袴』展も面白かった。先日、文化学園服飾博物館の『ひだ』展を見て、袴の機能性をあらためて認識したところでもあったので。そして、けっこう「進歩的」な文化人も、女性の袴姿を冷笑していたことを感じてしまった。明治40年、竹久夢二が描いた『女学生特殊風俗』(なんだ、このタイトルは)は、学校ごとに女学生の個性を描き分けたもの。私の母校もあって、ちょっと嬉しかった。

 そして「描かれた袴」の実に多いこと。学ぶ少女だけでなく、スポーツする少女、さらには働く大人の女性に必須のアイテムでもあった。大正後期から昭和にかけては、ほとんどスカートのような袴が高畠華宵の絵などに登場する。昭和初期の東京女子師範の女学生の写真で、着物と羽織を大きな花柄の共布でこしらえたものがあって、アロハみたいで可愛かった。展示で「女学生銘仙」という言葉を覚えたので、あとで検索したら、いろいろ面白い情報が得られた(参考:秩父銘仙 百花斉放)。「銘仙」は、夏目漱石など明治の小説によく出てきたっけなあ。

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