○エーリヒ・ケストナー(文)、ワルター・トリヤー(え)、光吉夏弥(訳)『どうぶつ会議』 岩波書店 1954.12
2013年の歳末は、12月26日の安倍首相の靖国参拝と、それに対する国内外の反応を暗い気持ちで観測しているうちに過ぎてしまった。
大晦日に神保町の書店街をふらふらしていたら、三省堂で「岩波書店創業百年記念フェア」の企画棚を見つけた。順に見ていくと、最後に絵本や児童書がまとめられていた。そうそう、これ! 先日、中島岳志さんの『岩波茂雄:リベラル・ナショナリストの肖像』を読んで、ひとつ残念に思ったのは、岩波書店の児童書に対する言及がなかったこと。冷静に考えると、岩波書店が本格的に児童書、特に海外児童文学の翻訳出版に乗り出すのは戦後、二代目店主・岩波雄二郎の時代からのようだ。(ただし、戦前の岩波文庫には『小公子』『小公女』『ピーターパン』『十五少年漂流記』など今日の児童文学の定番がいくつも入っており、『熊のプーさん』は昭和15(1940)年に刊行されている)
※参考:岩波書店児童書全目録 1913-1996 刊行順(個人サイト)
1960年生まれの私は、望んだわけではないけれど、岩波書店の児童書とともに育った「岩波リベラリズムの子ども」である。ようやくひらがなと少しの漢字が読めるようになった頃から、繰り返し読んで育ったのが「岩波の子どもの本」。1953年創刊の名作絵本シリーズで、確か、ほとんどひらがなばかりで活字の大きい「小学校低学年向き(?)」と、文字数が多く、話の筋も複雑な「中・高学年向き(?)」という二種類の設定がされていた。本書は後者だったと思う。
翻訳絵本には、日本人が日本人のために「世界を舞台に」書いたものとは全く違う何かがあった。特に英米以外への関心を覚ましてくれた『金のニワトリ』『ツバメの歌』『九月姫とウグイス』(←挿絵は武井武雄)など。異なる文化伝統への基本的な信頼や尊敬って、こういう体験から育まれるのだと思う。あと、すでに都会の子供だった私には『やまのこどもたち』もほとんど異世界の話で、でも好きだったなあ。
この『どうぶつ会議』も好きで、繰り返し読んだ。たぶん、会議に駆けつける動物たちが、クジラの腹の中に乗り込んだり、白クマが温泉を浴びて真っ白におしゃれしたり、キリンが上下二間続きの部屋を予約したりという、法螺話みたいなディティールが好きだったんだと思う。分からず屋の人間たちに圧力をかけるため、ネズミの大群が書類をずたずたにしたり、蛾の大群が軍服や制服を食い破ってしまうところも。ワルター・トリヤーの明るい水彩画がどのページにも満載された贅沢な絵本だ。
もちろん作品の「主題」も分かっていたつもりなのだが、久しぶりに手に取って読み始めたら、涙が出そうになった。人間たちの会議の失敗続きに業をにやしたゾウのオスカーは言う、「かわいい子どもたちが、いつも、戦争や、革命や、ストライキに、まきこまれなきゃならないなんて! それなのに、おとなは、まだ、こんなことをいっているんだ。子どものために、世の中がよくなるように、あらゆることをしているなんて――。ずうずうしいはなしだ!」
そして、動物たちは最初で最後の会議を開き、「戦争や、貧困や、革命が、二どとおこらないこと」を要求し、「平和のための、もっとも大きな障碍」である国境をなくすことを人間に要求する。人間(政治家)たちは抵抗するが、動物たちは(やや非合法な)非常手段に訴え、ねばり強く交渉を続け、ついに合意を勝ち取る。
「非合法な」と書いたけれど、動物たちが世界中の子どもをさらって、隠してしまうに際しては「みなさんの法律では、じゅうぶん、めんどうをみてもらえない子どもたちは、親の手からはなして、てきとうな保護者にわたしていいということになっています。みなさんの政府は、子どもたちのめんどうをみるのに、ふてきとうだとおもったので、わたしたちは、けさから、その責任をとることにしたのです」という説明が用意されている。とはいえ、動物たちが、長期的に責任をとれる保護者でないことも、算数の本をみて、頭をなやます動物たちの姿(子どもたちが、いつまでもここにいるようなら、だれかがおしえてやらなければならないでしょう)にさりげなく描き込まれている。
政治家たちがサインした「とりきめ」は五箇条。長くなるけど、書き留めておこう。
1 すべての国境をなくす。
2 軍隊と大砲や戦車をなくし、戦争はもうしない。
3 けいさつは、弓と矢をそなえてよい。けいさつのつとめは、学問が平和のためにやくだっているかどうかをみることにある。
4 政府の役人と書類のかずは、できるだけすくなくする。
5 子どもを、いい人間にそだてることは、いちばんだいじな、むずかしい仕事であるから、これからさき、教育者が、いちばんたかい給料をとるようにする。
残念ながら、第二次大戦後の世界は、ケストナーが描いた理想の方向には十分に進まなかった。でも「軍隊と大砲や戦車をなくし、戦争はもうしない」というのが、日本にだけ押しつけられた特殊な結論ではなく、当時、世界中にこの理想を共有した人たちがいたことを、もう一度、思い出したいと思う。
2013年の歳末は、12月26日の安倍首相の靖国参拝と、それに対する国内外の反応を暗い気持ちで観測しているうちに過ぎてしまった。
大晦日に神保町の書店街をふらふらしていたら、三省堂で「岩波書店創業百年記念フェア」の企画棚を見つけた。順に見ていくと、最後に絵本や児童書がまとめられていた。そうそう、これ! 先日、中島岳志さんの『岩波茂雄:リベラル・ナショナリストの肖像』を読んで、ひとつ残念に思ったのは、岩波書店の児童書に対する言及がなかったこと。冷静に考えると、岩波書店が本格的に児童書、特に海外児童文学の翻訳出版に乗り出すのは戦後、二代目店主・岩波雄二郎の時代からのようだ。(ただし、戦前の岩波文庫には『小公子』『小公女』『ピーターパン』『十五少年漂流記』など今日の児童文学の定番がいくつも入っており、『熊のプーさん』は昭和15(1940)年に刊行されている)
※参考:岩波書店児童書全目録 1913-1996 刊行順(個人サイト)
1960年生まれの私は、望んだわけではないけれど、岩波書店の児童書とともに育った「岩波リベラリズムの子ども」である。ようやくひらがなと少しの漢字が読めるようになった頃から、繰り返し読んで育ったのが「岩波の子どもの本」。1953年創刊の名作絵本シリーズで、確か、ほとんどひらがなばかりで活字の大きい「小学校低学年向き(?)」と、文字数が多く、話の筋も複雑な「中・高学年向き(?)」という二種類の設定がされていた。本書は後者だったと思う。
翻訳絵本には、日本人が日本人のために「世界を舞台に」書いたものとは全く違う何かがあった。特に英米以外への関心を覚ましてくれた『金のニワトリ』『ツバメの歌』『九月姫とウグイス』(←挿絵は武井武雄)など。異なる文化伝統への基本的な信頼や尊敬って、こういう体験から育まれるのだと思う。あと、すでに都会の子供だった私には『やまのこどもたち』もほとんど異世界の話で、でも好きだったなあ。
この『どうぶつ会議』も好きで、繰り返し読んだ。たぶん、会議に駆けつける動物たちが、クジラの腹の中に乗り込んだり、白クマが温泉を浴びて真っ白におしゃれしたり、キリンが上下二間続きの部屋を予約したりという、法螺話みたいなディティールが好きだったんだと思う。分からず屋の人間たちに圧力をかけるため、ネズミの大群が書類をずたずたにしたり、蛾の大群が軍服や制服を食い破ってしまうところも。ワルター・トリヤーの明るい水彩画がどのページにも満載された贅沢な絵本だ。
もちろん作品の「主題」も分かっていたつもりなのだが、久しぶりに手に取って読み始めたら、涙が出そうになった。人間たちの会議の失敗続きに業をにやしたゾウのオスカーは言う、「かわいい子どもたちが、いつも、戦争や、革命や、ストライキに、まきこまれなきゃならないなんて! それなのに、おとなは、まだ、こんなことをいっているんだ。子どものために、世の中がよくなるように、あらゆることをしているなんて――。ずうずうしいはなしだ!」
そして、動物たちは最初で最後の会議を開き、「戦争や、貧困や、革命が、二どとおこらないこと」を要求し、「平和のための、もっとも大きな障碍」である国境をなくすことを人間に要求する。人間(政治家)たちは抵抗するが、動物たちは(やや非合法な)非常手段に訴え、ねばり強く交渉を続け、ついに合意を勝ち取る。
「非合法な」と書いたけれど、動物たちが世界中の子どもをさらって、隠してしまうに際しては「みなさんの法律では、じゅうぶん、めんどうをみてもらえない子どもたちは、親の手からはなして、てきとうな保護者にわたしていいということになっています。みなさんの政府は、子どもたちのめんどうをみるのに、ふてきとうだとおもったので、わたしたちは、けさから、その責任をとることにしたのです」という説明が用意されている。とはいえ、動物たちが、長期的に責任をとれる保護者でないことも、算数の本をみて、頭をなやます動物たちの姿(子どもたちが、いつまでもここにいるようなら、だれかがおしえてやらなければならないでしょう)にさりげなく描き込まれている。
政治家たちがサインした「とりきめ」は五箇条。長くなるけど、書き留めておこう。
1 すべての国境をなくす。
2 軍隊と大砲や戦車をなくし、戦争はもうしない。
3 けいさつは、弓と矢をそなえてよい。けいさつのつとめは、学問が平和のためにやくだっているかどうかをみることにある。
4 政府の役人と書類のかずは、できるだけすくなくする。
5 子どもを、いい人間にそだてることは、いちばんだいじな、むずかしい仕事であるから、これからさき、教育者が、いちばんたかい給料をとるようにする。
残念ながら、第二次大戦後の世界は、ケストナーが描いた理想の方向には十分に進まなかった。でも「軍隊と大砲や戦車をなくし、戦争はもうしない」というのが、日本にだけ押しつけられた特殊な結論ではなく、当時、世界中にこの理想を共有した人たちがいたことを、もう一度、思い出したいと思う。