○野口武彦『維新の後始末:明治めちゃくちゃ物語』(新潮選書) 新潮社 2013.12
「はしがき」によれば、「週刊新潮」連載の歴史読み物シリーズ、『大江戸曲者列伝』2冊、『幕末バトルロワイヤル』4冊、『明治めちゃくちゃ物語』2冊は、本書をもって完結となる。最初の『大江戸曲者列伝・太平の巻』の刊行が2006年。その直前に、著者の『長州戦争』(中公新書、2006.3)を読んではいたけれど、私は、だいたい幕末・維新史というのが苦手だった。だって、昨日までの攘夷派がいきなり開国に転じたり、とにかく「めちゃくちゃ」なんだもの。
それが、どうやら幕末・維新史の流れを理解し、主要登場人物の役どころを掴むことができるようになったのは、ひとえに本シリーズのおかげである。多少、見方に偏りがあるかもしれないけれど、それは、これから徐々に修正していけばよいことだ。
おおよそ暦年順に進んできたシリーズの最終巻にあたる本書は、明治2年(1869)9月の大村益次郎暗殺に始まり、明治11年(1878)5月の大久保利通暗殺で終わる。著者によれば、『明治めちゃくちゃ物語』を大久保暗殺で打ち留めにしたのは「明治二十年頃から日本はめちゃくちゃでなく、尤もしごくな国策に沿って突っ走り始めるから」だという。
この期間の歴史イベントで、私が小中学校の日本史で習った記憶のあるものを挙げるなら、「版籍奉還」「岩倉使節団」「鉄道開設」「徴兵令」「地租改正」…まあ「西南戦争」も習ったけどね、たぶん。
しかし、目次を見ると、そうした輝かしい維新の改革政策の間に、実に多くの反理性的で血なまぐさい事件が並んでいる。早い時期には「奇兵隊反乱」なんてのがあったんだ。「浦上四番崩れ」(キリスト教徒への大規模弾圧)もこの時期なのか。広沢真臣の暗殺、岩倉具視の暗殺未遂。佐賀の乱、神風連の乱、萩の乱。わずか10年程度の間に、こんなふうに国民が殺し合っていたのだから、当時の一庶民だったら、先行き不安でたまらなかっただろうと思う。明治の始まりを明るく希望に満ちた時代としてとらえるのは、後世の願望で歪められた結果ではないだろうか。
興味深かったのは、明治政府が「財政」をどのように切り盛りしたか。どんな時代も理想だけで政治はできない。しかも明治政府は、幕末の対外戦争の賠償金の払い残しや公債・藩債の支払い責任を背負い込んだ上で、新しい国づくりを始めなければならなかった。著者は明治政府の方針を明快に割り切って言う、外債はきれいに返すが、国内債はできるだけ踏み倒す、と。あくどいなあ。このくらい鉄面皮でなければ、維新は成り立たなかったのだろうが、外圧に敏感な今の日本の経済政策の原型を見る思い。
自分の中で、まだ咀嚼できていないのだが、いろいろ記憶に残った名言やエピソードも多い。内村鑑三が「明治元年の日本の維新は西郷(隆盛)の維新であった」と語っているとか、その西郷が「西洋は野蛮ぢゃ」と言ったとか。著者は、西郷隆盛の生涯が我々に突きつけてくる問いは、日本及び日本人について根本的に考えさせるという意味で「西郷問題」と名付けるに足りる、と述べている。私は、西郷隆盛という人物の魅力が、どうもよく解らないのだけど、解らないということは「問題」の根が深いのかもしれない。
本書の最終話は「紀尾井坂の変」すなわち大久保利通暗殺事件であるが、前島密の回想によれば、大久保は暗殺の数日前、西郷隆盛と取っ組み合って谷へ落ち、砕けた自分の脳がピクピク動いている夢を見たという。これは有名なエピソードなのだろうか。
明治維新の第一期、土着的なもの、反理性的なものが、来たるべき近代と格闘していた混乱の時代は、こうして終わるのである。
「はしがき」によれば、「週刊新潮」連載の歴史読み物シリーズ、『大江戸曲者列伝』2冊、『幕末バトルロワイヤル』4冊、『明治めちゃくちゃ物語』2冊は、本書をもって完結となる。最初の『大江戸曲者列伝・太平の巻』の刊行が2006年。その直前に、著者の『長州戦争』(中公新書、2006.3)を読んではいたけれど、私は、だいたい幕末・維新史というのが苦手だった。だって、昨日までの攘夷派がいきなり開国に転じたり、とにかく「めちゃくちゃ」なんだもの。
それが、どうやら幕末・維新史の流れを理解し、主要登場人物の役どころを掴むことができるようになったのは、ひとえに本シリーズのおかげである。多少、見方に偏りがあるかもしれないけれど、それは、これから徐々に修正していけばよいことだ。
おおよそ暦年順に進んできたシリーズの最終巻にあたる本書は、明治2年(1869)9月の大村益次郎暗殺に始まり、明治11年(1878)5月の大久保利通暗殺で終わる。著者によれば、『明治めちゃくちゃ物語』を大久保暗殺で打ち留めにしたのは「明治二十年頃から日本はめちゃくちゃでなく、尤もしごくな国策に沿って突っ走り始めるから」だという。
この期間の歴史イベントで、私が小中学校の日本史で習った記憶のあるものを挙げるなら、「版籍奉還」「岩倉使節団」「鉄道開設」「徴兵令」「地租改正」…まあ「西南戦争」も習ったけどね、たぶん。
しかし、目次を見ると、そうした輝かしい維新の改革政策の間に、実に多くの反理性的で血なまぐさい事件が並んでいる。早い時期には「奇兵隊反乱」なんてのがあったんだ。「浦上四番崩れ」(キリスト教徒への大規模弾圧)もこの時期なのか。広沢真臣の暗殺、岩倉具視の暗殺未遂。佐賀の乱、神風連の乱、萩の乱。わずか10年程度の間に、こんなふうに国民が殺し合っていたのだから、当時の一庶民だったら、先行き不安でたまらなかっただろうと思う。明治の始まりを明るく希望に満ちた時代としてとらえるのは、後世の願望で歪められた結果ではないだろうか。
興味深かったのは、明治政府が「財政」をどのように切り盛りしたか。どんな時代も理想だけで政治はできない。しかも明治政府は、幕末の対外戦争の賠償金の払い残しや公債・藩債の支払い責任を背負い込んだ上で、新しい国づくりを始めなければならなかった。著者は明治政府の方針を明快に割り切って言う、外債はきれいに返すが、国内債はできるだけ踏み倒す、と。あくどいなあ。このくらい鉄面皮でなければ、維新は成り立たなかったのだろうが、外圧に敏感な今の日本の経済政策の原型を見る思い。
自分の中で、まだ咀嚼できていないのだが、いろいろ記憶に残った名言やエピソードも多い。内村鑑三が「明治元年の日本の維新は西郷(隆盛)の維新であった」と語っているとか、その西郷が「西洋は野蛮ぢゃ」と言ったとか。著者は、西郷隆盛の生涯が我々に突きつけてくる問いは、日本及び日本人について根本的に考えさせるという意味で「西郷問題」と名付けるに足りる、と述べている。私は、西郷隆盛という人物の魅力が、どうもよく解らないのだけど、解らないということは「問題」の根が深いのかもしれない。
本書の最終話は「紀尾井坂の変」すなわち大久保利通暗殺事件であるが、前島密の回想によれば、大久保は暗殺の数日前、西郷隆盛と取っ組み合って谷へ落ち、砕けた自分の脳がピクピク動いている夢を見たという。これは有名なエピソードなのだろうか。
明治維新の第一期、土着的なもの、反理性的なものが、来たるべき近代と格闘していた混乱の時代は、こうして終わるのである。