見もの・読みもの日記

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対談・植民地主義の暴力(徐京植、高橋哲哉)

2010-07-04 22:23:04 | 行ったもの2(講演・公演)
○ジュンク堂書店新宿店トークセッション 徐京植×高橋哲哉『植民地主義の暴力-植民地主義はいまも継続し、増殖する-』(2010年7月1日)

 徐京植著『植民地主義の暴力:「ことばの檻」から』(高文研)の刊行記念対談。定員40名という案内だったが、もう少し多かったと思う。老若男女、バラエティに富む客層で、小さな喫茶スペースは満員札止めになった。10日前、6月21日に神保町の東京堂書店でもおふたりの対談イベントがあり、こちらも60数名の来場者で満員だったという。へえーまず、そのことに驚いた。世間的には、外国人参政権や朝鮮学校無償化に対する激しい拒否反応が目立つ現在、それに全く逆行する両氏の対談に、これだけの人が集まるということは、マスコミやネットを席巻している強硬意見だけが、日本人の総意でないことが分かり、私などは、まだ日本に自分の居場所があることが分かって、少し安心した。

 しかし、冒頭で高橋哲哉氏は、1990年代からこのかたの「記憶をめぐる闘い」を振り返って語られた。90年代初頭の日本社会には、多様な価値を受け入れ、(虐げられた者からの告発に)応答する可能性が見えていた。にもかかわらず、1995年を境に、歴史修正主義が勢力を増し、マスメディアがのっとられ、世論が変化していった。2000年代には、9.11、イラク戦争、日朝会談と拉致問題の顕在化等により、日本は応答責任(を果たすこと)に失敗して、今日に至っている。最近は、ついに在特会(在日特権を許さない市民の会)のような、”極右”的な市民団体が現れるようになった。ふむ、90年代初頭って、そんな可能性が開かれていたんだったけ? 大人だった私でさえ、もう忘れてしまっているし、いまの20代30代にとっては、全く記憶の埒外だろう。

 両氏がいう「応答責任」は、結局、素朴で実感的な倫理感に帰着する。謝罪を要求し続ける中国や朝鮮はうざい。教科書的なヒューマニズムの押しつけには反発を感じる。それはいい。それはいいとして、なお取り残されている被害者からの訴えに、君自身は耳を傾けないのか。ただそれだけを、個々人の内面に向けて、繰り返し、愚直に問い続けている。

 被害者の訴えに耳を塞ぎたいと思うのは、マジョリティの一員であるから。現状を変えたくない側にいるからである。しかし、いまの学生諸君は、本当にマジョリティ=勝ち組なのか。そこには何かが隠蔽されているのではないか。これは徐京植氏の言葉。自分に心地よいことを囁いてくれる他者は「もうひとりの自分」でしかない。ぎこちない関係を迫る他者の訴えにこそ、どう応答できるかが重要なのである。これは高橋哲哉氏の言葉。また、被害者の声に応えることが大局的には「国益」に適うから、という理由づけは、内なる植民地主義を克服することができない、という厳しい指摘もあった。

 高橋氏は、途中でかなり詳しく「沖縄」問題に触れられた。沖縄は「日本」にとって最初の植民地だった。2009年は沖縄にとって、琉球処分130周年、薩摩侵攻400年の節目に当たり、県内ではさまざまなイベントが行われたが、沖縄以外では、全くこうした動きがなかった。そして普天間基地問題は、鳩山総理の”迷走”で片付けられてしまうことになった。沖縄の基地問題をどうすればいいのかということに、私は解答が見いだせない。でも、マスメディアの鳩山叩きは、見ていて馬鹿馬鹿しかった。沖縄が「日本」の一部であるなら、日本人は、マスコミも世論も、もう少し違う方向に連帯すべきなんじゃないのか?と何度も首をひねった。

 韓国・中国に対して日本が何をしてきたか、歴史を知れば、何をすべきかは自ずと分かる筈でしょう、と高橋氏はおっしゃったけど、私は沖縄について、韓国・中国以上によく知らない。多くの日本人がそうじゃないのかな、と思う。「見えるはずのものが見えない」のは、植民地主義の暴力の本質であるという。それならば、まず、真実を学ぶことをもって、その克服に向かいたいと思う。

※本はまだ読んでいないけど。

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